さあ、今日から三学期がスタートです。
雪の季節から春をさがす三学期。皆さんの春はどこにあるのでしょうね。
短い三学期です。三学期の大きな特徴として、「継続する人」と「修園する人」がはっきりした中ですごす日々、ということがあげられます。それぞれの数ヶ月先の未来が気になるところですが、今、ここを大切にし、今、ここに集中することを意識して、今年の通年合宿をよりよいものにまとめあげることができるようにしましょう。
先日テレビで「僕たちの世代は、自分にいいことだったらなんでもやれる」というフレーズを耳にしました。さわやかに肯定的にいっていました。腹が立ちました。この文章における「だったら」は「ならば」と同義です。つまり仮定法で、「自分にいいことならばなんでもやれる。」です。この仮定以外なら、つまり「自分にいいことでなければ」・・・?
やはり先日、某ブログのコメント欄で懐かしい言葉を目にしました。「利己的遺伝子」です。リチャード・ドーキンスの名著で私はその言葉を知りました。
自分にいいこととはつまり利己。利己はつきつめれば利他と表裏一体であることに気づくのですが、しかしそれはかなり深い思索とそれを支える行為や振る舞いが必要です。そこに至るまでは利己と利他は分断しているがごとく感じるものでしょう。だから声高く「人のために何かしてあげよう」といいたくなるのです。利他を称揚し利他を促し利他を賞賛するのです。いずれわかるその日まで。
だから、利己を安易にアピールするのは下品にすぎる。下品とは欲望の露出なのです。そもそも利己的な存在としての生物の一種であるわれわれは、すでに十分利己なんです。のべつまくなし食い散らかし、排泄し、異性を見るや猫なで声を出して言い寄っているのと「利己大事だよオレタチ」っていってるのはまったくいっしょ。噴飯ものどころか唾棄すべき(下品で失礼)言動であるといって暴論ではありますまい。
なんか違う方向に話が偏りすぎましたが。
「自分のため」とは「人のため」と思い、「人のため」にならない「自分のため」はまがい物であるとそう思い、くらしの中に生かしてもらいたい。
強くなる。誰のため? 賢くなる。誰のため?
「若者を体を鍛えておけ。いつか、愛する人を守るときがくるから。」
私は加藤晋一郎元浪合小中学校長の太く優しい歌声でそのことを思い知った。幸いだった。だから、私も、君たちに伝え続けたい。
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