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2011年3月30日 (水)

何ができるんだよおれは

 電話があった。
 教育次長さんからだ。
 「県からの照会が来てるんですが、震災の子を受け入れることはできますか?」
 私の答えは、NOでした。うちの施設は、すでに定員12人のところを15人受け入れているのだ。新年度には増築計画もあるが、しかしまだ増築はされていない。

 電話があった。
 東京の、お子さんを持つあるお母さんからだ。
  「放射能汚染がこわい。こどもだけでもそちらに住まわせてほしい。受け入れは可能か?受け入れ相談窓口があったら教えてほしい」
 受け入れに関しては、NOといわざるを得ない。理由は上記。しかし、雑魚寝対応だったらなんとかなるんじゃないか?いや、しかし短期の避難じゃないんだから、そういうわけにはいかない。受け入れ相談窓口なら、心当たりがないわけじゃないからそれを伝える。砂をのみこんだように、胸がざらざらする。

 人事相談やリスクマネジメントのお手伝いをしている別の会社の仕事をしていた時、休館のはずのその施設の電話がなる。求人への応募だ。飯田に疎開してきている震災避難者からだった。電話はその一件だけじゃなかった。

 役場の村営住宅の係の方と話す機会があった。話題がひと段落したところで、私が切りだす。阿智村では疎開者の受け入れについてはどんな計画になっているんですか?と。
その方は阿智村における受け入れ計画について説明してくださった。私も腹案を話した。金銭的根拠はない。うちで出せるわけでもない。でも、意見交換はしてもいいだろ。またいろいろ上に提案していきます、と係の方はおっしゃった。なんにもできねえじゃねえか、俺はとむかつきながら、よろしくお願いしますと頭を下げた。

 くそったれ。俺は困った時は助けてもらったらうれしいぞ。だから・・・。

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2011年3月29日 (火)

KING KAZUの証明(東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ)

 日本代表対Jリーグ選抜、2-1 (長居スタジアム)
 15分遠藤(FK)、19分岡崎(アシスト本田)、82分KAZU(アシスト闘莉王)

 川口>闘莉王>KAZU シンプルな縦一本の攻撃。しかしその煌めきはすごい。なんしろ、KAZUが最後の最後で落選したフランスW杯でゴールマウスを守った川口が蹴りだし、KAZUがいない日本代表の魂であり続けた闘莉王が頭で流し、生きる伝説となったKAZUが新進気鋭の東口から奪った得点なのだ。あのシーンを目撃できた人々は僥倖を感じたに違いないし、ゴール裏で瞼に焼き付けた人は勝ち組と名乗ってくれていい。よかったなあと祝福する。

 日本サッカー界をあげてのチャリティマッチで、遠藤がらしいFKで得点をあげ、岡崎もらしい突破から得点をあげ(両方に絡んでいた本田も強さ、うまさをきっちり出した)たが、誰もが待っていたのはKAZUのゴールだろう。しかし本気モードの戦いで44歳のKAZUが得点できるのか、については、まああるかもね、あればすごいな、くらいの期待感だったのではないか。だがKAZUは決めた。震災現場出身の小笠原のファイトや今野の熱とはまた違う、KAZUだからこその光芒が長居に、日本に煌めいた。

 失礼な言い方かもしれない。しかし、あの得点が、チャリティマッチの最大の成果だったのではないか。Jリーグ選抜から見た0-2というスコアも82分という時間も「あきらめない」という今の東北の、日本の気慨を象徴する最高の演出となった。

 長島茂雄と同世代を生きることができず残念な思いを私はしてきた(親父世代がうらやましかった)が、俺たちには三浦知良がいる。

 いかすぜ、KAZU。  

 

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2011年3月28日 (月)

今更だけど、「龍時」読んでる。

 2004年に急逝した野沢尚さん著。

 龍時は、長男が熟読愛読していた。ほんとにおもしろいと言っていた。借りたかったがいつのまにか家から消えていた。そしたら学校の自分の机の引き出しに入ってた。中3の最後の個人懇談の時に知った。借りようと思った。そしたら長男といっしょに京都に行った。彼はずっと「龍時」をそばにおきたかったのだろう。

 「龍時」はサッカー小説である。若き俊足ドリブラーが主人公である。海外(スペイン)に単身渡り、地域リーグに参戦、そこから頭角をあらわしてゆくというのが幹となる物語だ。息子は海外に行ったわけではないが、しかし親元離れて(私の実家へだが)旅立った。ささやかかもしれないが、シンパシーを感じていたのではないだろうか。

 今私が読んでいる「龍時」は、長男が二男に渡したものだ。我が家から学校へ行き、京都へ行き、再び我が家に戻ってきた「龍時」だ。二男が読んだかどうかわからない。二男には小学校のトレセン時代から中学校のクラブチームまで「りゅうじ」というチームメイトがいて、その印象の方が強いかもしれない。その「りゅうじ」もドリブラーだった。「りゅうじ」が「龍時」を読んでいたかどうかはしらない。

 「龍時」全三冊、文春文庫である。

 

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2011年3月25日 (金)

極北クレイマー読んだ

 なんか途中から作風がかわったような。。。
 最後は名探偵ホームズみたいだったような。。。(物語の核心に触れることになるので、詳しくは書きません)

 本編とは関係ないけど、地獄と天国についての記述があって、印象に残った。
地獄にだって食べ物はある。でも長い長い箸しかなくて食べたくても食べられない。食べ物をつまんでもそれを口に運べないのだ。その苦痛が地獄の苦しみなんだ、と。しかし実は天国も同じで、長い箸しかない。でもみんな幸せに暮らしている。それは、長い箸で食べ物をつまんだら他の人に食べさせてあげているからだ、と。食べさせてあげた自分にも、誰かが食べさせてくれるのだと。自分のことだけ考えていると地獄になり、たがいのことをしあうと天国になる、そういうことだ、と。
 おっと、これも核心だったか。暗喩としての。なんしろ、タイトルはクレイマー(クレームをつける人)だからな。

 地獄だよ、あなたのやってることは。クレイマーさん。

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2011年3月21日 (月)

浪合小中学校卒業式保護者代表謝辞

 表記謝辞を述べさせていただく機会を得ました。申し上げたいことはいろいろあったように思うのですが、まとめてみるとシンプルになってゆくものですね。以下、その全文です。

 先生方本当にお世話になりました。ありがとうございました。

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本日、この浪合小学校ならびに浪合中学校から巣立っていきます卒業生の保護者を代表いたしまして、ひと言、お礼の言葉を申しあげます。

 

 風が春の香りを運ぶようになり雪解けに新しい季節の確かさを感じるこの佳き日に、このように感動的で、心温まる卒業証書授与式を挙げていただきまして、誠にありがとうございました。赤羽校長先生をはじめ、諸先生方に、保護者一同、心よりお礼申しあげます。

 

 また、来賓の皆様におかれましては、公私共にお忙しい中ご臨席を賜りまして、誠にありがとうございました。皆様からいただきました、お祝いと励ましのお言葉は、卒業する子どもたちの胸に、深く刻まれたことと思います。

 

 地域の皆様におかれましては、学校内のみならず、登下校の際にも子どもたちを見守っていただきまして、ありがとうございました。子どもたちが安心して通学できましたのも、皆様のお声がけのおかげと、心より感謝いたしております。

 

 そして小学生には六年間、中学生には9年間もの長きにわたり、子どもたちのために、温かくて美味しい給食を作ってくださいました調理員の皆様に、心よりお礼申しあげます。

 

 在校生の皆さん。勇気を引き出す門出の言葉と響きあう見事な歌声を、ありがとうございました。

 

 それから、卒業生の皆さん。今日この日まで健やかに育ち、こうして無事に卒業証書を受け取ってくれてありがとう。一人ひとりが胸を張って卒業証書を受け取る姿を見て、私たち保護者は、感激で胸がいっぱいです。

 

 入学式に始まり、運動会、深山祭学習発表会、修学旅行、そして中学生のみなさんには部活

 

 数々の行 事を通して子どもの成長を実感し、数え切れないほどの感動と感激を味わえたことは、保護者としてこの上ない幸せだったと思います。これもひとえに先生方の、ときに厳しく、そして愛情いっぱいのご指導のおかげと、心より感謝いたしております。本当に、今日までありがとうございました。

 

 私は山村留学の指導者としてこの地に赴任し、以来17年間、ずっと浪合小中学校とともにすごしてきました。今日、ここで巣立つ中学3年生とともに、浪合中学校はなくなります。とても寂しく、切ない思いでいっぱいです。しかし、浪合中学校がここにあったという事実はまぎれもなく、そこで育てた力、育てていただいた力も本物です。みなさん、みなさんは浪合が村であったときから、浪合のすべてを注ぎ誰もが愛し続けた学校で子ども時代を過ごせたことは、まさに幸運であり、誉れであり、終生愛おしい記憶として大事にしていただきたいと思います。中学校閉校の年ということで、どの行事も「これが最後、これでおしまい、だからしっかりやらなくては」と自分を追い込んできたことでしょう。よくぞ力を尽くしてくれました。すばらしかったです。4月からは新しい世界へ旅立ちます。どうかのびやかに、どうか前を向いて、地震や津波に襲われて生き残った人たちがそうであるように、正しくたくましく粘り強く生きる、ということを実践してみせてください。

 

 今日までお世話になった先生方、どうぞ今後とも子どもたちを見守ってくださいますよう、お願い申しあげます。

 

 感謝の言葉は尽きませんが、浪合学校の益々のご発展と、校長先生をはじめ諸先生方、そして、縁あって子どもたちに関わってくださいました全ての皆様の、ご健康とご多幸をお祈りいたしまして、お礼の言葉とさせていただきます。

 

 本当に、ありがとうございました。

 

 平成22年度  保護者代表 吉田哲也

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2011年3月19日 (土)

息子よ、雨の西京極を覚えているか。(二男あて)

今年中学を卒業する息子の卒業文集あてに書いた文章です。以下。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


3年生の夏だったか。

 

夏休みに家族を顧みれない僕は、その罪滅ぼしのつもりで8月最後の日曜日に、僕自身生まれて初めてのJリーグの試合を家族で見に行った。京都市の西京極スタジアム。あいにくの雨模様。京都パープルサンガ対ジュビロ磐田。Jの舞台で、サンガがはじめて磐田に勝ったゲームだった。ビジュのゴールの瞬間、今まで聞いたことのないような歓声が響き、西京極が揺れた。その日からおまえはサッカーボールを追いかけはじめ、すぐに夢中になっていった。

 

 5年生の春、おまえは飯田のサッカーチームに入れてもらった。この日もたしか雨が降っていたと記憶するが、初めて参加した中津川の大会で、おまえは水しぶきをあげて左サイドを突破し、初ゴールを決めた。そのまま一気にハットトリックを達成した。きっとそれで、おまえはこのチームでやっていける手ごたえをつかんだろう。

 

 6年の末。おまえは浪合中学校のソフトテニス部には入らず、飯田のサッカーチームでがんばることを決めた。小さな中学校でみんなが入る部活に入らず、ひとり違う道に進むのは勇気が必要だっただろう。そしてその状況は3年間続く。会話があわず、意地の張り合いもあり、寂しい思い悲しい思いをすることもあったろう。その選択がよかったのかどうか、私はまだ、実はわからないでいる。だけど3年間、おまえはサッカーと浪合中学校の生活を両立させようとがんばった。そのことは立派だ。すばらしい。

 

 しかし、だからこそ、おまえは感謝しなければならない。部活に参加せずサッカーを続けるおまえを見守り、応援してくださった先生方のことを。小さい学校で違うことに没頭してゆくおまえを受け入れてくれた先輩たち、さらに生徒会長と認め支えててくれた友達や後輩のことを。これらは、まさに「有難い」ことなのだ。

 

 そして何よりの感謝は、お母さんへだ。仕事が終わった後、毎日のように1時間から2時間に及ぶ送り迎えをしてくれたお母さんの苦労は簡単なものじゃないんだぞ。

 おまえのゴールはなにひとつまともにビデオに残っていないが、それはお母さんがうれしさのあまり、ビデオを持ったまま万歳したり小躍りしたりしていたからだ。最後の試合、両足が攣って動けなくなり悔し涙を流すおまえを、お母さんは嗚咽を漏らして見ていたぞ。そんな思いをもうさせるな。

 おまえのプレーが大好きでいつも応援してくれていた兄貴は、京都に行っておまえを追うようにサッカーをはじめ、おまえはそんな兄貴を追うように京都に行こうとしている。

 

 雨の西京極のあの日から、こうなることは自明だったのかもしれない。いずれサッカーから距離を置く時がきても、今ここを一生懸命生きた記憶は、必ず新しい未来を引き寄せる。

 

 栄えある未来のために、友に恵まれ、好敵手に恵まれ、そして苦難に恵まれることを祈る。苦難に向かう者にのみ幸運は訪れるし、そうして得た成功に祝福が送られるのだ。

 

 -今でも、僕にはあの歓声が耳に聞こえる。おまえの耳にも聞こえるだろうか。 

 

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2011年3月18日 (金)

16日のいろいろ

Photo             浪合小中学校卒業式にて。中学卒業生の歌です。

Photo_2

              浪合学校へ、卒業記念品贈呈のシーンです。

Photo_3

              浪合中学校閉校式にて。校旗伝達のシーンです。 

Photo_4

              小学校、中学校それぞれの卒業生。

Photo_5          浪合通年合宿第17期修園式にて。歌とスライドショーのシーン

Photo_6               修園式終了直後。全員による記念撮影。

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2011年3月17日 (木)

長男が来てました。

 実は15日の夜から長男が来ていました。昨日の卒業式、閉校式、修園式、センター謝恩会にも参加してました。
 今日から春休み学童クラブがスタートしたのですが、長男はさっそく「もりにい」とか呼ばれて、子どもたちと遊んでくれていました。こういうことがすうっとできるのは、あいつのいいところです。お昼のカレーづくりも手伝ってくれました。こちらは、もうちょっとオートマチックにできるようになりましょうw
 で、今日、もう帰っちゃいます。二男、娘もいっしょに、嫁さんの運転で京都へ。明日長男の学校の終業式だし、二男の高校入学説明会なんです。娘はまあ、実家への表敬訪問ってことで。私は明日用事があるので浪合にひとりで残ってます。寒さが一段とこたえますね。。
 長男は4月からいよいよ高校3年生です。二男の受験がおわったら、今度は長男の大学(たぶん)受験です。なかなか気が休まらないですなあ。まあ、本人が一番たいへんなわけですが。
 目標校はすでに絞っている模様。がんばれ、もりにい!

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2011年3月16日 (水)

卒業式、二男合格発表、閉校記念式典、謝恩会、修園式、センター謝恩会

 行事盛りだくさんの今日でした。

 浪合小中学校の卒業式では、中3の二男(生徒会長)が答辞、小6の娘(児童会長)が記念品贈呈、私が保護者代表謝辞でした。
 式の最中、9時ちょいすぎに、嫁さんからメールが。嫁さんは京都へ二男の高校の合格発表を見に行っていました。9時30分から発表だと思っていたので、このメールは「これから学校に見に行ってきます」とかそんな内容なんだろうなあと思っていたのですが、「合格」と書いてありました。発表は9時からだったようなのです。私は心の準備をしていなかったので、なんだか拍子抜けした感じでした。
 息子が受験していたときに、私は北野の天神さんへお参りに行き、拍手打って神妙にお願いをしてからきびすをかえしたときに、ずるっとすべったんです。それで「あ、こりゃだめか?」なんて思ったんです。試験から帰ってきた二男は「時計がなくて時間がわからんかった」と言っていました。今まで教室に時計がないことなんてなかったし、模試会場でも必ず時計があったので、持ち物に時計とあったのですが、持っていかなかったみたいなんです。「国語と英語は時間がわかんなくんてちょっと影響あったと思う」なんて言いますし、社会科は満点だろうとか不思議なことを言ってましたが、しかし競争率は2倍だし、2教科で力を発揮できなかったとすると、これは厳しいんじゃないかと。だから私は第一希望は無理、と思うようにしてたんです。二男もそんなふうでした。翌日新聞で解答例が掲載され自己採点したようですが、長男が受験した時の方がいい得点だったようです。内申はほとんど一緒ですから、やっぱ厳しいぞと改めて思ったものです。
 ところが「合格」。「第二希望の合格じゃないよね?」「見間違えてないよね?」「夢見てたんじゃないよね?」「よろこばしといて後から落とすとかなしだからね?」と嫁さんにくどくメールで確認しましたが、「確かに第一希望合格」だったとのこと。・・・今年の試験は難しかったのでしょうかね。とにかく早く二男に知らせてやりたかったのですが卒業式の最中だし、終わるのを待ってかた担任の先生に伝えました。先生、満面の笑みでガッツポーズをしてくれました。

 続いて浪合中学校閉校式。こちらは私役員だったので(一応実行委員長)来賓案内したり会場案内をしたりで感慨にふける余裕がなかったのが残念でしたが、最後にみなさんといっしょに歌った校歌は胸に迫るものがありました。

 謝恩会は治部坂の「中屋」で行いました。中3の担任のおふたりにはメッセージ入りガラス花瓶をプレゼントしました。こどもたちからは色紙の寄せ書きのプレゼントがあったようです。豆腐焼き定食をメインにしたランチボリュームたっぷりでおいしかったしうれしかったです。涙涙の最後の学活でしたが、謝恩会はなごやかに行うことができました。

 3時30分から浪合通年合宿修園式リハーサル、4時30分から本番。17期のみんなでつくりあげる最後のイベントは、見事な出来栄えで立派にやりとげることができました。

 抜け殻のようになって休憩、18時半からは浪合通年合宿の保護者主催の謝恩会です。遊楽館でわきあいあいと楽しみました。途中、重大発表があったり、突発的歌のつどいがあったり、芋焼酎がおいしかったり、いろいろでした。ありがとう、ありがとう、保護者のみなさん、ありがとう。みなさんあっての浪合通年合宿ですよ、ええ。

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2011年3月15日 (火)

歌の練習、スライドショーづくり

 明日の修園式に向け3月に入ってから歌の練習を続けてきました。
 恒例の「ALL FOR ONE」と、もう一曲は今年生まれた曲「浪合(ここ)より未来へ」。

 伴奏は「ALL FOR ONE」がたつろう(5年男子)、「浪合より未来へ」が茶。総指揮が私。今年は最初からよく声が出ました。だからこその「声を張り上げて、私の声聞いて~」っていう歌い方にならないよう諌め、心をあわせ、声を合わせ、情感を表現しようということに主眼を置いた指導をしてきました。

 ピアノのミスタッチもあります。歌詞を間違えることもあります。でも、
「間違いは仕方がない。間違いがあったら、まわりがそれをカバーしよう」
ということを言い続けました。
「間違えるな」
というより、
「たすけあおう」
と言う事の方が、通年合宿らしいと私は信じて、そう指導しました。

 だんだんと仕上がってゆく歌。いつまでもこの指導を続けていたいと思ってしまいます。しかし、そうもいかないんですね。明日は修園式です。

 「浪合より未来へ」にあわせてスライドショーを上映するのですが、昨日からつくりはじめ、今日仕上げました。
 歌詞にあわせかつべたづけにならないように写真を選び、並び順を考えました。

 なかなかいい出来になったと思います。これと歌がうまくあうと、きっと印象的なものになるでしょう。伴奏の茶との打ち合わせが翌日になりますが、何回か練習してくれれば、きっとあうようになると思います。

 いよいよ、いよいよ、明日、修園式です。

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2011年3月14日 (月)

来年度の浪合通年合宿

 来年度は今までで最多となる、15名で通年合宿を行います。
 継続性6名、新規生9名です。一次募集の合格率(競争率)は約3倍、二次募集は1.5倍でした。小学2年生から中3までの構成となります。

 新しい相談員も登場。

 NPOなみあい育遊会の通年合宿、がんばります。ご期待ください!

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2011年3月13日 (日)

この子たちとの最後のサッカー。息子の誕生日会

 今日は浪合通年合宿の今年度最後の日曜日。午前中倉庫をスキーモードから農作業モードにかえ、午後は部屋の引っ越し準備。それから、みんなで学校のグランドに行って、サッカーをしました。

 グランドでサッカーをやるのは実に12月以来。久しぶりです。修園式前に、グランドでサッカーができる喜びをみんなかみしめながら、ボールを蹴りました。3ヶ月体育館でしかできなかったですしね。まだグランドの周囲はぬかるんでいたのでピッチは広いとは言えませんが、それでも体育館よりはうんと大きい。そんなところもうれしかったりして。何よりみんながにこにこしながらサッカーしていた姿がうれしくて。3年生から中3まで、通年合宿のこどもから村のこどももいっしょになって。いつまでも見ていたい光景でした。

 夕方仕事を終えて家に帰ります。今日は二男の誕生日会をする日です。本当は明日なのですが、明日はわたしたち夫婦が宿直で、そうすると子どもたちも一緒にセンターに泊まります。センターで我が子の誕生日会をするのはちょいとアレなので、今日することにしたのです。

 外食するということにして、さてどこにするか二男に決めさせました。そしたら居酒屋がいいとか(笑)
 つぼ八に行ったら満員御礼で入れませんでした。村さ来に行ったら、かろうじて家族4人座るテーブルがあいていたのでそこにしました。
 家族で居酒屋はジツに久しぶりです。ゆっくり家族でいろんな話をしながら、夕食を楽しみました。


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2011年3月11日 (金)

巨大地震、未曾有の津波

 浪合の我が家にいた時に揺れました。長い時間揺れました。
 古い家なので、揺れが落ち着いてから私は外に飛び出しました。もっと激しい揺れがくるのかと思ったからです。でもそれは杞憂でした。
 家に帰ってからテレビやインターネットで仙台沖で巨大地震が発生したことを知りました。
 阪神大震災のことを思い出しました。しかし、今回はもっともっと、悲惨なことになりました。今まで体験したことのないような津波が東北の東海岸を襲ったのです。
 チリ大地震のときで5.5メートルの津波といいます。今回は、11メートルとも15メートルともいわれています。
 町が壊滅したところもあるそうです。17000人の町の10000人が行方不明という町。200~300の遺体が流れ着いた海岸。
 阪神淡路大震災の時も悲惨でしたが、今回はケタ違いにひどい状況になりそうです。
 その上、原子力発電所が暴走。放射能が被災者を襲う危機に見舞われてしまいそうです。1000年に一度の大地震、大津波が、さらに原子力発電の放射能漏れという未曾有の危機を引き起こしました。
 国力をあげて、この災害に立ち向かい、不死鳥のようによみがえってほしいと思います。

 しかし、失われた命は戻りません。無念だったことでしょう。家族を失われた方の悲しみも想像に余ります。

 私たちに何ができるか。

 そして、私たちにも起こりうることなのだということを、心しておかないといけませんね。

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2011年3月10日 (木)

近頃考えること。(第17期記念文集に寄せた原稿)

近頃考えること。

くずてつ    

 今年はツイッターに出会った年で、web上では140字以内で発言することが多く、およそ1年間で4500回ほどしてきた。おかげで毎日のようにアップしてきたブログの方が多少御留守気味になったのだけれど、「ブログ読んでます」の他、「ツイッターフォローしてます」という人との出会いも増えて、楽しい。

 ツイッター効果というかなんというか、短文で考えることが今までに増して多くなった気がする。決意は短い言葉にあらわれる、というが、そうかもしれない。またヘミングウェイなんかの短文構成文体は「ハードボイルド」と言わている。「ハードボイルド」・・・。悪くない。やっぱR.チャンブラーのフィリップ・マウロウかね。「男はタフでなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格はない」ってセリフには心しびれたものだ。

 さて、以下いくつかツイッター的に言葉を羅列してみるが、日ごろのくらしの中で思い付いたことを手帳とかレシートの裏とかに書きつけておいた言葉達だ。

・・・まあ、参考にしてみてください。以下。

 

近代合理主義が義理人情を排除し、個人主義が和をないがしろにし、民主主義が正義を土にまぶす。ことがある。

 

愛することと、さみしさをまぎらわすことは、結構混同されることが多い。

 

味方がエラーしたとき、全力で後続を断つ。それが一番、幸せにつづく道。力は糾弾のために使うものではなく、大事なものを守るためにつかう。そのための強さ。

 

健康にまさる宝なし。

 

いとおしい人が鬼籍に入る悔しさとせつなさと無情を知ることが、人生の深淵にまた私を連れて行ってくれる。

 

指導することは、相手を自分に引き寄せることではない。指導することは、自分の価値をアプリオリなものとしているうちはうまくいかないが、さりとて、自分の価値を信じないと始まらない。

 

あかりが「お湯がいいんです」というから、俺もお湯がよくなったじゃないか。

 

勇気あふれるプレーを見ると、こっちは涙があふれてくるんだ。

 

信じられないことは時々起るが、それは幸運であることが多い。なぜって、不幸には原因があることが多いからね。原因に気付いていないから、偶然に思えるんだ、不幸って。

 

今まで酒をたくさん飲んできたが、その量が半分だとしても、きっと俺の人生は何も変わっていないだろうね。むしろ体には良かったに違いない(笑)

 

遠くを見て今の我慢ができるやつが、結果を出してくる。

 

子どもはいとおしいが、いとおしいからなんでもありじゃない。遠くを見て今の我慢を。

 

ギブアンドテイクじゃない。ギブアンドギブアンドギブ・・・ 与え続けること。

 

自分がうまくプレーしても、ゲームの結果が思うようにならないことがある。でも、それがいい。

 

走りこんだ先にちょうどのボールがきてみろ。たまらんぞ。

 

幸せですか?夢はかなっていますか?と問われて、困ってしまった。あまりそんなこと、考えたことはなかった。ずっと、そこまでのプロセス。まだ途中。

 

「ぼくんち」の話をあつく語るきんぎょはすごいが、話につきあってるあかりとさくらもえらい。

 

毎日かあさんの主演がきょんきょんってサイコー。

 

がっちゃんは生まれおちて30分で立ち、乳を探し吸いつき、1日で飛び跳ねた。俺はなにしてる。

 

そんながっちゃんは、オスだったよ。生まれたてはわからんよ。ほんとわからん。

 

自己主張が無様ってことはある。いや内容がじゃなくて。

 

自分を発想の中心におくと、いい仕事なんてできない。いいわけなんてすぐ思いつくだろ。でもアタマはその使い方でいいのか?その時タマシイはどうなのよ。

 

仕事っていうのはな、自分の時間を捧げ、生命をすりへらし、健康を賭けて、そうして成り立ってるってところはある。公私の区別がついてるうちは、まだまだ、なのかもしれない。

 

んなことはあたりまえだ、と親父はいうだろう。

 

親孝行は、大事。兄弟は仲良く。

 

なみあいの舎に集いし者は、いかなる時も、助けあえ。   

2011,3,16

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2011年3月 9日 (水)

お誕生日おめでとうっていわれてうれしい。

 あの。恥ずかしながら今日は私の誕生日です。

 たぶん43回目くらいですが誤差が前後1くらいあるかもしれません。でもどうでもいいですよね(笑)

 昨日遅番勤務から帰ってきて、ちょっと脱力してたら息子(二男)が来て、「誕生日おめでとう」って言ってくれて。時計見たら0時1分でした。やるじゃんw

 んで、翌日目が覚めたら隣で寝ていた嫁さんが「お誕生日おめでとう」って。おいおい。

 んで朝食食べてたらこれから登校するって状況の娘が私のそばに来て「父ちゃん、お誕生日おめでとう」って。おいおいおいおい。

 んであんまりうれしかったんでそのことをツイッターでツイートしたら、昔からの友達と元園生がツイッター上で「おめでとう」って。おいおいおいおいおい。

 センター行ったら、職員のみんながそれぞれの「おめでとうございます」って。おーい、いったいなんのオメデタ祭り??

 ケータイのたまってたメール見たら、親父から(親父は誕生日や記念日はいつも必ず朝一番にメールをよこしてくれる)や友達からおめでとメールが来てるじゃない。

 夕方、園生が帰ってきます。みんな私を顔を見ると次々に「おめでとう」を言ってくれます。もううれしくて仕方ない。

  夕食は嫁さんが手巻き寿司にしてくれました。刺身はもちろんお店のものですが、一番うれしかったのはお手製卵焼きかな。

 

部屋で嫁さん相手にギターの練習してたら(嫁さん聞く係。でも主にモバゲーしてました、彼女w)、娘が来て「かあちゃんほんまでっかTV面白そうだよ」と嫁を誘いに来ました。めずらしいことあるな、でもほんまでっかTVのファン度は俺の方が上のはずだが、なんて思っていたのですが、ギターをいじりたくて私はそのまま。
 10分もしたら、嫁さんが「ちょっときて。支度できたから」。え?なんの支度?
 居間に行くとスイーツとお茶が並んでいます。娘がさっき嫁さん誘ったのは、きっとこのためなんでしょうね。みんなでお茶してると息子が「これ」とラッピングされた包みを渡してくれます。おいおいおーい! プレゼントつきかよ~   涙腺壊れそうになりました。プレゼントは、紺と白にブルーのラインがきれいなピステでした。早速着てみました。「細く見えるよ父ちゃん」とは娘。その言葉もうれしかったりしてw

 夜、それら一連のことをツイートしたらまた元園生(上の人とは別人)から「おめでとうございます」が・・・。

 こういっちゃあなんだが、こんなにおめでとうが身にしみた誕生日は久しぶり。大人になってからは初めてかも。

 私も言います、あなたの誕生日に、おめでとう、を。

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2011年3月 8日 (火)

レグザにしました。

 春から高校生になる二男坊に携帯を買うときがやってきました。
 もう、当然スマートフォンでしょ。
 うちはauですからiphonという選択肢は最初からなく、auのスマフォンシリーズのどれにするか、というところが焦点でした。

 で、決めたのはレグザ。決め手は防水性能。色は黒。

ちょうどエイデンが改装オープンしたてて安売りしていたので助かりました。

 私とふたりで受け取りに行ったのですが、帰りにもう駐車場でメアドつくったり家族のメアドコピーしたり。ブラウザ開いて気になるサイトを読みこみブックマークをつける、とか、スカイプの設定するとか、やっちゃいました。

 我が家にとって2台目のスマフォンですが、1台目は京都にいる長男のものですから私はいじったことがほとんどなく、今回のこれが、実質観察機第一号としていじれそうです(最初のうちだけ、ね)

 しかしいじればいじるほど、欲しくなっちゃいますね、スマフォン。まあ、私はまだしばらくむりですが。

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2011年3月 7日 (月)

3月の体験合宿

 何年かぶりに二次募集を行うことになった浪合通年合宿でした。
 13名まで決まっていたのですが、14名目が決まらず、2月下旬という押し迫った時期から二次募集を始めたのです。

 13人のまま春を迎えるのかなあという思いもありました。しかしありがたいですね。問い合わせの電話が次々舞い込んできます。そこからすでに体験合宿を行いましたし、昨日からも一件実施中です。そしたらまた問い合わせの電話が。ええと、急きょ組んだ広告宣伝費、生きました。

 本当にありがたいことです。

 おかげさまで、欠員は生じずに19期の通年合宿がスタートできそうです。しかし3月に体験合宿を行うようなやり方は、よくないですね。
 反省しきりです。何年やっても、反省することは尽きませんね。

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2011年3月 6日 (日)

親父と焼き鳥屋へ。

 昨日は親父の誕生日でした。75歳になります。元気です。いろんなNPOの理事長やってますし、今年は町内会長もやってます。肉食系です。酒こそ量は少なくなりましたが、まだ私と同じくらいは飲めます。理系です。工学系です。ソフトよりハードに強い人です。きんぎょのフィジカル育成が得意です。巨大なきんぎょが実家の水槽に何匹も泳いでいます。ケータイはドコモの人です。ドコモ以外は「どこの馬の骨かわからんとこのやつなんか使うか」とかいいます(10年くらい前の発言ですが)。 産学連携に早くから取り組んできた人です。一時期中小企業診断士なんかもやっていたようですがすでに私は同居してなかったのでよくわかりません。電子体温計、家庭用血圧計なんかを開発する会社のトップをしていました。巨人ファンです。巨人が圧勝したら日本が平和になり経済が活性化すると半ば本気で思っているフシがあります。サッカーより野球派ですが西京極にもつきあってくれます。つきあってくれますがイヤホンで野球中継聞いてます。野球と水泳は親父に仕込まれました。パンク修理もそうです。あと、男の矜持についても、親父に教わりました。

 ・・・そんな親父の誕生日が昨日でした。肉食の親父だということもあるのですが、小さい孫も同居していることから、ビッグボーイに夕食食べに行くことになりました。でも僕は、親父に「ここ終わったら、焼き鳥屋行こうよ」と誘いました。ふたりで焼き鳥屋に行くのが、ここ数カ月の私の願望だったのです。いつも家飲みで、準備から片付けまでやりたがってくれる親父。豪放なようで周囲に気を使ってることが実に多い親父と、気ままに飲み屋で飲んで、夜風に吹かれながらゆるゆる歩いて帰ることをしたかったのです。

 親父は私の誘いを快諾してくれました。そして、二次会があるなら夕食は控えめにしないとな、とかいいながら、サラダ2皿とステーキ1枚をさらりと平らげ生ビール中ジョッキ1杯をするするあけておりました。

 うちの近くの焼き鳥屋さんの前で車から降ろしてもらい、親父とふたりでのれんをくぐりました。
 とりもも、肝、つくね、ネギを塩で焼いてもらいました。そして親父は麦の、私は芋の焼酎をロックで乾杯。
 よもやま話がぽつぽつと。爆笑があるわけでもなければ熱弁があるわけでもありません。ぽつぽつと、問わず語りに。そして杯を重ねます。
「芋はうまいなあ」と私。
「芋はくさいんだよ」と親父。
意見があわなかったのはそこだけ。
 おだやかで心地よい酔いがゆっくり体をまわります。

 小一時間もしたでしょうか。
「じゃ、そろそろ」
「そうだな、そろそろ」

「お愛想!」
そういって席を立ち、勘定場にむかいます。親父が財布から五〇〇〇円札を抜きだして、
「俺が出す」

そんなつもりはなかったのですが、出したお金をひっこめる親父でもありません。こりゃまずったなと思案しながら勘定をすまします。

店を出て、新丸太町通りを渡り、小路に入っていきます。

「親父、おつり」
私はそう言って、おつりより多めのお金を渡しました。親父はきっとそれと気付いたのでしょう、ちょっとの間だけそのお金を眺めてましたが、すぐ知らん顔して黙って受け取ってくれました。

弥生の夜ですが、今夜はそれほど寒くもなく、肌をすりぬけてゆく風は心地いいくらいでした。西の空に、うっすらとオリオン座がありました。暗闇の御室川を水鳥が羽ばたいてゆききしています。

ゆっくり、ゆっくり。ほろ酔いの親子ふたりが、夜の小路を歩いていました。



 

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2011年3月 5日 (土)

開幕。大阪ダービー観戦。

 今日は息子(二男)の受験もひと段落したことから、万博へガンバ対セレッソの試合をふたりで見に行ってきました。今シーズンの開幕戦です。
 嵐電で西院まで行き、そこから阪急に乗って途中でモノレールに乗り換え、万博へ。モノレールは初めて乗りましたよ。
 スタジアムについてから昼飯食べようと思っていたのですが、どの屋台もめちゃ混み。ちょっと離れた屋台はかろうじて行列が少なかったので、そこで焼きそばなどをゲット、そのままスタジアムに入りました。ちなみに万博の屋台はさすが大阪、おいしそうなお店がたくさんあった見てるだけでも楽しいです。
 開幕から大阪ダービーということで万博スタはものすごい人でした。私たちはバックスタンドのチケを持っていたのですが、座れたのは本当に端っこ。ええ。ホントに一番端っこでした。ええと、セレッソよりです。
 ピッチの緑が目に眩しく、娘は浪合でスキー検定を受けていたわけですが、同じ日本でも違うものです。
 ゲームはなんていうか、序盤慎重。中盤のつぶし合いが目立ち、たがいにリスクマネージメントができていて無難上等な試合運び。前半のおわりにガンバがPKをゲット、遠藤が蹴ったのですがキーパーにとめられるという(めずらしい)シーンを見ることができたのが収穫w
 後半はガンバがエンジンかけてきます。先取点はそのガンバ。セレッソから今季移籍してきたアドリアーノが得点(後半20分)しちゃうんだからオモシロイ!
 しかしセレッソも負けてはおらず、桜色に染まるサポ―ター席の前で倉田秋が決めます(後半28分)。
 前半とはうってかわって打ちあいの展開。どっちが勝ってもいい私ですが、2度もガンバによって降格を決められたサンガサポとして(しかもこの万博で)はちょっとセレッソよりになってしまうのは勘弁してくださいってことで、心のどこかでやっぱ桜を支持しています。
 しかし、こいつは別格だったな。遠藤。
 31分に、相手PA左前でなぜだかフリーでいた遠藤にボールが渡り、右足一閃。相手選手に当たったようですが、見事ゴールニアサイドを打ち抜き決勝点をあげます。
 そこに遠藤がいて、2秒もフリーでいられたら、十分仕事しますよね、彼。
 試合後、西野監督が「彼(遠藤)は不調だが少々の不調ではずすような選手じゃない」とコメントしたようですが、いやあ、その通りかもしれません。
 PKははずすは、躍動感には乏しいはで心配していたのですが、さすが遠藤です。決めるべきときに決めれば、十分です。
 試合後、娘あてなどにお土産を購入。激混みのモノレールをやりすごすためまだ営業している屋台でたこ焼きなどを購入してお昼の物足りなさ感を解消、それからうちに帰りました。実家から1時間半ほどで行けます。息子も行き方はわかったでしょう。今度はセレッソの新ホーム、金鳥スタに行きたいものです。

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2011年3月 4日 (金)

寒い京都で、天神様に行ってきました。

 今朝、寒い京都でびっくりしました。車はまっしろ。道路は地熱があったため積雪はありませんでしたが、なんだか私が帰るたびに京都を白くしているみたいです。

 息子を高校まで送ったあと、天神さまへ行ってきました。受験している息子、園生の加護をお願いにいったわけです。天気はめまぐるしくかわります。雪、晴、くもり、また雪・・・。5分刻みくらいでかわっていきます。

 境内にはいると、梅が咲いていました。梅にうっすら積雪がありました。これはいい時にきたものだと思いました。時間は9時半。お日様があたると雪ははかなく消えそうです。カメラマンがたくさん来ていました。趣味の人もいれば、プロの人もいました。デジカメ全盛ですが、プロはやはり、きちんと三脚立ててますね。

 私は本殿へ直行し、二礼二拍手一礼。響きましたね、私の拍手。

 それから車にひきかえし、カメラを携えて再び境内へ。

 以下、その際撮影した写真です。

 梅花苑の花一輪です。

 灯篭の前の、桃色の梅です。

 白梅と雪と、本殿の門です。

 クリックすると、「よろず電影光画倶楽部」の電子アルバム該当ページにリンクします。

 ただ、雪はとけちゃっていましたがww

 

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2011年3月 3日 (木)

いろいろありますが体も大事にしましょう。

 年度末になると魑魅魍魎が動き出しうっかり口にできないことが多くなる。だからこの日記でも書けないよなーというネタがごろごろしてて、もったいない(笑)

 しかし魑魅魍魎は実際の日常時間をうばう作業を要求することがあり、だから実に年度末はあわただしい。人も巻き込む。

 通年合宿の方もいよいよ大団円に向けてカウントダウンの時期であり、一日一日がものすごく貴重になる。各種会議もこれでもかってくらい、ある。それもなんだか、開催日や時間が重なったり連続したり余裕がない。

 だから。今月1日と今日あった健診に続けて遅刻してしまいましたとさ。

 遅刻しそう!!!遅刻するぞっ って焦って運転するのって、体に悪いよね。そんな体を検査してもらうのもどうかなって思うくらい。

 今日は血液検査。1時間遅れ。ごめんなさい病院さん。気持ちよく対応してくださり感謝です。「診察は午後の部になりますので2時にきてください」申し訳なさそうにおっしゃっていただいて。もちろんおっしゃる通りにしますとも。

 中性脂肪はさがったものの、基準値にはない。LDLがちょいと高いな。HDLは正常値だけど、もっとあっていいな。eGFRについて気をつけないといけないことがよくかわった。

 それから息子と合流して、京都へ。今日から連休をもらって、実家へ帰ります。受験、家族イベント、来年の打ち合わせなどあります。宿題もちゃんとあって、はい、忘れずやります。メール対応もします。指示出しします。現場のことはいつも気にかけています。

 

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2011年3月 2日 (水)

ごはんづくり

 反省していることがあるのだ。

 私は料理が好きである。高校生のころから一家の食事をつくってきた(こともある)。大学はルームシュエアリングしてくらしてきたが、そこでの食事づくりもまったく苦ではなかった。今の仕事柄も料理はつきものだが、正直楽しくて仕方ない。

 だが。わが子にそれを伝えられたかというと心もとない。むしろ園生の方が伝わっているかもしれない。結構なことだが。

 違いはずばり、食事づくりに子どもがどれくらいかかわっているかどうかの差であろう。それは義務からはじまっている。しかし義務が楽しさを持つようになることは、別にめずらしいことではない。

 春から、娘は中学生になる。こいつとはいろいろいっしょに料理を楽しみたいと思う。料理は工学であり、官能的であるが故に芸術でもある。

 その楽しさを知らないままというのは、いかにもおしいことなのだ。お皿にもお椀にも小宇宙がありそれは曼荼羅と表現してもよく、それを作り出す作業は神の業、のようなのだ。

 息子たちよ。俺が悪かった。いつか目覚めてくれ。楽しいぞ。

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2011年3月 1日 (火)

内視鏡検査

 胃の内視鏡検査の日でした。
 朝食は食べてはいけないとのことで、もちろん昨夜も9時から食べていません。

 こんな日なのに宿直でして。そのうえ、5時おきで修学旅行生を学校に送る係でして。検査は10時50分からで、およそ6時間食べないまま活動しつづけまして。このまま断食もいいのかも、と。

 内視鏡検査はつらいっす。胃をおとなしくする注射は、念のために「打たない」ということになりまして。(ときどき胸が痛くなることがあるからです。原因は不明。心電図、レントゲンチェック済み) それになんだかゲップがあがりやすい食道と胃の構造らしくて。ゲップそんなにしてないと思うけど。あ、ビール飲んだりコーラ飲んだりしたら速効出るタイプだな。

 「ピロリ菌はいませんね」

 「え?見てわかるんですか?」

 「ええ、だいたい。若い胃ですね」

 「!ありがとうございます」

 とりあえず、ゲップが良く出る、若くてピロリ菌のいない胃みたいです。

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