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2010年2月13日 (土)

ちびつどラスト

 今日は今年度最後のちびっこ森のつどいでした。
 その模様はわくわく日記やyoutubeのnamiyou1チャンネルでご覧になれます。一部ですが。

 今回のちびつどは、園生が企画、広報、準備、運営に具体的直接的にかかわって行いました。そして、ラストを飾るにふさわしい出来になったと思います。

 かつて、ちびっこ森のつどいは園生が担う部分がもともと多かったです。しかし、毎月の活動なのでその負担も大きく、他にやりたい活動もあるので、だんだん「当日のお手伝いだけ」というふうに変わってきました。

 これは実は気にかけていないといけないことで、勉強も、遊びも、スポーツも、お手伝いも、すべて大事なんだよ、ということなんですが、1日は24時間で、1年は365日で、時間は限られているわけです。そこにどのくらいの割合でやりたいことを配分していくか、というところが工夫のしどころなんです。

 もちろん量だけでなく、質も肝心です。指導者の力量も問われるところですがね。

 スポーツ、学習には強くなってきたが、あいさつ、朝づくりはおざなりだったり。出番、当番以外は自分に関係ない、という態度が当たり前にあったり。指導者の前と指導者がいない場面でやることが違ったり。

 受験戦争過熱時代を過ごした私たちはそのことを体験的に知っていますが、わかりやすく数字で見える成果ばかりを追うと、えてして大事なものを見逃すことになります。その頃の「いじめ」の噴出は、ものいえぬ子どもたちからのSOSだったのではないかと思います。成果主義はいきすぎた「体罰」も生んできました。こどもたちは一生懸命でしたが、追い込まれた感もなみなみならぬものを抱えていたのです。
 「ゆとり」教育という今やマイナスイメージでとらえられることが多くなった我が国の一時期の教育方針は、そのことを反省して生み出されたものでした。「ゆとり」の「時間削減」「詰め込み緩和」の部分が見えやすかったので、PISAはじめ国際的学力検査で日本の点数の低下がみられると、「時間増」「新詰め込み」に転じています。しかし「ゆとり」とセットで謳われた「体験重視」、ソフトが見えぬままやりにくさばかりが報じられた「総合的学習の時間」は、成績表の数字に表しづらい力を伸ばせる可能性に満ちたものであったはずです。

 だから。今再びの、「ちびつど園生起用」なわけです。

 ここでもPDCAサイクルをまわしていきたいなーとそんなことを思っている私です。

 
 

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コメント

こんばんは

「数字で評価」は悪い事では無いと思いますよ。ただ評価する側が「数字」という評価軸しか持ち得ていないのから、「数字に現れない」才能を見いだせないだけ。
「数字化し辛い」能力を見出すのに長けてるのは、昭和一桁世代以前かなぁ。「生き延びる」(比喩では無く)事が大前提だった世代の方なので、傾聴すべしです。
「PDCA」なんて言葉を知らなくても、実戦して来た方々ですよ。

投稿: 飛魔人 | 2010年2月16日 (火) 02時11分

飛麿人さん、そうですね。
 実は私、数字で評価することはひっじょーに多いです。なんでもかんでも数字で評価できるんじゃあないか、と思っていたこともあります。てか世の中の相当な部分は実際できるんじゃね?と今でも思っている。しかし、数字での評価から逃げていくものもあると思います。ですから完成しえない。ちょうど、言語が非言語(暗黙知、とか)を征服しえないのと似た感じ。
だから、今、この場で、数字で評価されていない(評価していない)ことにも注意を払い、それを言葉にし、時に賞賛し、時に奮起を促し、必要に思えば指導・助言を試みるってことは、特に人を指導する人間としては大事なことに思っています。

投稿: kzfe | 2010年2月23日 (火) 15時11分

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