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2009年1月31日 (土)

スキー教室インストラクターと阿智村計画審議会

 まずは昨日の話題から。
 私は茶といっしょに、浪合小学校のスキー教室のインストラクターをボランティアとしてつとめてきました。
 浪合小学校とPTAのコラボです。今までスキー教室は、全3回中1回は専門家のインストラクターによる指導、2回は教員による指導ということになっていました。教員による指導も十分なレベルではあるのですが、しかし地元はなんといってもスキー場が2個もある浪合です。スキーに堪能なおじさん、おばさん、おにいさん、おねえさんはたくさんいるわけです。で、自然体験活動のうち技術取得系の活動は、指導者ひとりあたりの受講者数が少ないほど効果があがることは当然ですから(技術習得系はなんでもそうですよね)、これはPTAも協力した方がいいだろう、ということになり、今年から指導のお手伝いをすることになったのです。子ども達も教員以外の方が来ることは楽しいことだし、学校やPTA活動の刺激にもなるし、いいことづくめですよね。この取り組みの成就には浪合小学校のご理解と浪合学校PTA塩澤地区委員長のご尽力が大きかったことを記しておきます。
 当日は飯田養護学校とのソリ交流会も行われました。
 朝集合して1時間程度のレッスンのあと、ソリ交流会(昼食含む)、午後は再び2時間程度レッスンでした。
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 私は2班(初級)8名を受け持ちました。茶は1班(初心)のうち2名を受け持ちました。天気は曇りで、気温が下がらず、あたたかかったです。閉講式の際には強い雨がこぼれだしましたが、レッスン中は多少降ったものの、それほどではなくてよかったです。

 同日は中学生は百人一首大会が行われました。欠席者が多くてクラスマッチにはならなかったそうです。mとsiはA班(m、センターのHさん、Sくん、siの班)で激突(笑)、受験生のmは1年生のsiに敗れてしまったようです。受験生が後輩に負けてしまうのはよくあることですが、ちょっと悔しそうでしたね。まあ、浪合中学校で一番強いのは中2のSくん。圧倒的です。が、SくんはA班の読み手もしてくれたそうで、40枚くらいしかとれなかったそうです。

小中一貫はいいですね。中学で何をやっているか、小学生もわかりますから。ある程度成長した子が行く中高一貫より、いいかもしれない。中高一貫は高校受験がないメリットではありますが、小中一貫で高校受験をものともしない子を育てる方がいいような気もしますね。

 で、今日は午前半日、阿智村計画審議会に出席してきました。議会とはまた違う住民の代表が集まり、行政サイドから来年度の計画を聞いて審議する会議です。定住人口の増加と人口流出の阻止が大きな話題になっていました。それに関連した施策がいろいろと提案されていました。厳しい経済状況の中で、いい事業を計画してくれているなあというのが率直な感想です。私は新型インフルエンザの対応について、未満児保育の受け入れについて、学習支援のあり方について、学童保育のあり方について、の4点について意見を言ってきました。
 2月21日に第2回の会議があります。

 
 

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2009年1月30日 (金)

異人の球譜2 西鉄ライオンズの魔術師・上

 西鉄ライオンズの黄金時代は長くない。1956年から59年までの3シーズンだ。ライオンズはこの間、3度続けて日本一に輝いている。だが記録を紐解いてみると、圧倒的に強かったわけではない。かといって抜け目のない試合巧者だったかといえばそうでもない。しかし、破天荒でドラマチックなチームだったということは言えそうだ。

 西鉄ライオンズの時代は、まだ「戦後」だった。ズタズタになった日本がなんとか息を吹き返そうと懸命にもがいている時代だった。
 ライオンズの親会社である西鉄は、北九州で炭鉱夫を運ぶ私鉄会社だった。政治的にも経済的にも文化的にも中央から遠く離れたこの地の炭鉱夫たちは、もともとその地に息づいてきた伝統的性分もあって、あらくれであり反骨であった。そういう風土で結成された西鉄ライオンズは、当然無頼で荒々しいチームだった。
 だが、無頼であることはともかく、荒々しいチームが3年も続けて日本一にはなれない。事実、三原脩という稀代のモチベーターであり魔術師が来る直前までのライオンズは、選手の数は多くても皆一軍半程度の実力で、とても上位に食い込めるチームとはいえなかった。

「九州に日本一のチームを」
時のオーナーの意向を受けて、三原脩が博多に乗り込んできたのは1951年のことだった。

 三原脩は早稲田大学の出身である。戦前はプレイヤーとして、戦後は監督として、あの読売巨人軍に所属し、特に1949年には巨人を戦後初の優勝に導いた経歴を持つ。また余談であるが、三原はこの時代に学生結婚をしている。奔放にして断固とした行動力を持つ、そんな人物像が浮かび上がる。
 だからというべきか、彼は読売巨人軍にあっては扱いづらい人物だったようだ。その証拠に優勝した翌年、彼は「総監督」なる名誉職に祭り上げられてしまう。かわりに監督の座についたのは、前年シベリアから帰還した水原茂だった。ふたりは同じ香川県出身で、学生時代から好敵手だった。慶応大学の投手だった水原とは好勝負を繰り返し、中でも1931年春の早慶戦2回戦で投手・水原の時に三原が行ったホームスチールは、早慶戦の歴史の中でも伝説的な出来事として語り継がれている。
 奇襲・奇策の三原に対し、何をやるにもスマートでそつのない水原は好対称をなしていた。その好敵手が何か大きな成果をあげたというならまだしも、ただ「帰ってきたから」という理由だけで監督の座を追われた三原の悔しさは想像して余りある。しかも球団からはろくに仕事をあたえられず、日がな碁を打ってすごすかなかったというのだ。
 好敵手に現場を追われた三原は、その力をふるう場を失ってしまった。しかし、チャンスは再び、めぐってくる。

 西鉄ライオンズが、三原を買ったのだ。
 東京を、読売を去る三原に対して、「忘恩の徒」という非難が、他ならぬ読売の中から出たが、三原は
「言われている意味がわからない。きっと一生わからないだろう」
といって取り合わなかった。また三原は同じ時期、別件に対してだが次のようなコメントを発表している。
「読売はきらいです。読売のこうした(傲慢な)風潮が巨人の中に浸透していけば、巨人は必ず飽きられる時期がくるでしょう。」
 それから半世紀が過ぎたが、読売の傲慢は日本プロ野球の傲慢となり、日本のプロ野球はそれと知らないうちに魅力を失って迷走を続けている。

 三原は。三原は博多に向かった。荒くれ集団の西鉄に、稀代の魔術師が来た。当代きっての頭脳がきたのだ。効果はてきめんに出る。下位低迷を続けていたライオンズだが、その年(1951年)一気に2位に浮上している。一方の水原は読売ジャイアンツを率いて1年目の1950年は3位に終わったが、1951年から3年続けてリーグ制覇、日本一に輝く。その間、三原率いるライオンズは1952年は3位、1953年は4位と順位を下げてしまうが、1954年には念願のリーグ制覇を果たす。しかし一方の水原ジャイアンツはそのシーズン2位。

 ふたつの巨星は激突の予感を過熱させながら、しかしその軌跡はまだ交わらなかった。

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2009年1月29日 (木)

星空の写真「オリオン座」

 冬は星がきれいですね。その上星降る里「浪合」ですから、その美しさは折り紙つきです。ずっと、星を撮影したいなあと思っていました。けど、冬は・・・寒いんですよ。氷点下です。「今日は撮影するぞ~」と思っていても、でも深夜の寒さに「やっぱ、やめとこ」と幾度思ったことか。

 ですが、センターで宿直している夜は、家にいる夜よりも基本気合は入っているので、撮影する気にもなります。
 こどもたちが寝静まった深夜0時ころ。
 玄関出たところに三脚を構え、星座にレンズをむけて・・・。
 絞りは開放から一段上程度。ISOは400~800、と・・。ピンは無限遠にして、2秒セルフで(レリーズつければいいのですが、暗いところなのでなるべく機材はシンプルにしたいな、と思って・・・ )。

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 オリオン座と、シリウスです。西南の方向です。

説明入りの絵は下です。比較してご覧ください。

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2009年1月28日 (水)

HさんとVQ1015

 NPOなみあい育遊会の通年合宿生、Hさんがきのう、私のVISTA QUESTを見て、「おもしろそう」。
 Hさん、こないだ帰省した時にトイカメラをたくさん扱っているお店を発見したよ、とか私に教えてくれたりして、だいぶ興味は持ってるな、って思っていたんです。

 で、「撮っていい?」と。もちろんのことふたつ返事。だって私、子どもの撮る写真好きなんです。

 以下、その写真をいくつかアップします。VQ1015の個性とあいまって、魅力的な写真があるでしょ?
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←この表情は、Hさんが撮影したからこそ引き出せたのではないでしょうかね。









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←大胆な構図。ノートの文字が白くとんでしまっているところがいい(笑)









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←なんだかすぐそこにある風景なのに、なんだか懐かしい感じがします。
赤いスリッパの片方も写しこみたかったみたいですが、これはこれでなんだかオモシロイ。未完結な絵のおもしろさですかね。






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←そうです、柱が斜めでも気にしない。ていうか、だからいい。









VISTA QUEST VQ1015、なんだか風景を思い出にかえ、人を幸せにしてしまう、そんな力があるカメラみたいです。

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2009年1月27日 (火)

定額給付金・・・

 定額給付金は今年度補正予算として可決されることがほぼ確実になった。
 私は近頃、「定額給付金でお金もらったらさ、どうする?」といろんな人に尋ねてまわってる。多い答えは以下の順。複数回答あり。

1.「貯金」
2.食料とか電気代とか「生活費の一部」
3.衣類とか電化製品とか、「ほしくても買えなかったものを買う」

「貯金」という答えが圧倒的。生活費の一部、もほぼそれと同等。臨時収入を生活費の一部にあてるとなると、本収入は貯金にまわるということだ。要するに、「貯金」と答えたのと同様だと思う。3位の「ほしくても買えなかったもの・・」は少数だ。しかも「余ったらそうしようかな」というふうに答えた人が実に多い。まっさきに答えた人はいなかった。(稀だった、とか少しだった、というのではなく、「いなかった」)

国の財布から出たお金が国民の財布に移り、使われることなく貯められる、ということになる。もくろみだった景気刺激にはなりそうにない。

参議院本会議では定額給付金を含んだ二次補正案が否決されたが、両院協議会でシロクロがつくわけでもなく、すでに可決している衆議院の議決優先性でもって決着する、という見通しだ。

ようするに、大賛成を得られたわけではない2兆円の支出が執行されることになるわけだ。加えて必要経費に800億円を越えるお金が投じられることになるという。

これには首をかしげざるをえない。国民の代表の会議の半分がNOとしたのに執行か。経済専門家も「景気の刺激策にはならないだろう」と主張する者も多い。かつて小渕内閣の時の「地域振興券」は実際にほとんど景気を刺激しなかったという。

他に使い道があるはずだ、という声も根強くある。

キャスターの小倉智昭さんは、1月27日放送の「特ダネ」オープニングトークで、「特養施設を20億円でつくれば、全国に1000箇所もできる。待機者が38万人以上(利用者は40万人・・・ほぼ同数・・・)もいるのだから重要な施策といえるのではないか」ということを強調して主張されていた。他にも目を配ればいろいろあることはまちがいない。私の関連でいえば「過疎対策」「子育て支援」「セカンドスクール振興」だってお金はほしい。使い道は立派にある。

定額給付金支給が決まれば、我が家もかなりの金額が入ってくることになる。しかしそれは生活費の一部となる。そしてそれ相当のお金はやはり不景気時の余裕づくりとして「貯金」にまわすことで家族の同意は得られている。ていうか、そんなもんだと思う。毎月毎月お金が入ってくるのならばばんばん使おうという気にもなるが、臨時収入だ。それも冷えた経済事情の折の臨時収入だ。大事にしたくなるに決まっているのではないか。

「悪銭身につかず」という言葉がある。今回の給付金、ばんばん使って!と配布されるわけだが、「悪銭身につかず」のような使い方を国民はしそうにない。なにより、国の大事な2兆円が「悪銭」よばわりされてしまうのは、残念でならないではないか。

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2009年1月26日 (月)

来年度の浪合通年合宿園生

NPO法人 なみあい育遊会の通年合宿、来年度のメンバーがほぼ決まりました。

新規生5人、継続生9人 計14名となる見込みです。

新規生の今年の合格倍率は実質4倍程度でした。(補欠合格まで含めると2倍程度)
継続生が多かったので、倍率が高くなったというのが実情です。
ここ数年、いわゆる競争率は上昇を続けています。
一方で、合格決定後のキャンセル、という残念な例も今年は見られました。
世界情勢ということも理由のひとつにあるかもしれません。
実際、不景気を理由に申し込みの取り下げがあった(合否判定までに)ケースもあります。
しかしながらこちらとしても入念な意思確認や関係機関との調整の結果合否を出しているので、それが覆ってしまうことが当たり前のような状況にならないよう、園生募集から参加確定までの仕組みを点検する必要があるなあと感じています。

継続生との面接は先週全員済ませ、20日の夜に全員に対して口頭にて「合格」の旨通知しました。これから保護者の方々との手続きに入ります。

メンバーの詳細情報については、個人情報を配慮した上で、後日「わくわく日記」の方で発表する予定です。

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2009年1月25日 (日)

ブログネタについて

 私はブログネタにことかかないが、ココログのブログ編集画面にはブログネタの提供サービスが無料である。
 私にしてみれば余計なお世話(笑)だ。たとえば「あなたがつくった自慢のプラモデルは?」とか「入学試験の思い出教えて!」「あなたの成人式の思い出教えて!」などネタが表示されている。もちろんそういうのがあってもぜんぜんいいし、それをウェブ上で堂々と陳列できるのもブログの魅力のひとつなのだろうが、私が違和感あるのは、ネタは自分で用意してこそネタじゃん?ってとこなのだ。

 とはいえ。興味を引くネタがあることも確か(笑) 今日はそのネタにひっかかってみようかと思う。いつもひっかかるのはシャクなので(笑)、まとめていくつかひっかかる。
<ココログブログネタより抜粋>

1、あなたを熱くさせたロボットアニメは?

「合体シーンで熱くなったのは「超電子ロボコンバトラーV」。おもちゃで熱くなったのは「鋼鉄ジーグ」(磁石で体の各パーツが合体する。単純だがアニメの設定もまったくその通りでそこが熱くなれた) オープニングテーマで熱くなれるのは「ゲッターロボ」のトランペットの出だしと「戦闘メカザブングル」のブラスの出だし。主人公のモノマネで熱くなれるのは「マジンガーZ」の兜甲児くん。友達の盛り上がりに熱い魂を感じたのは「伝説巨神イデオン」と「装甲騎兵ボトムズ」。ただしオレの中ではいまいちだった。エンディングテーマにしびれたのは「機甲創世記モスピーダ」。設定に熱くなったのはSF版必殺仕置人の「銀河旋風ブライガー」。こんなもんでいいですか??」

2、ドラマ化してほしいマンガは?
「ドラマ化というか、映画化で、「銀曜日のおとぎばなし」。泣かせてください。」

3、もう一度食べたい給食のメニューは?
「鯨のカツ。昭和50年代にはふつうにあったよね?」

4、男と女、どっちに生まれ変わりたい?
「ていうか、今すぐにでも若いオンナと入れ替わってみたい(笑)。若いっていっても30前後でいい。イイオンナってやつを追求してみたい。 てなわけで女。けど記憶が残っているわけないんなら、どっちでもいいや、カンケーないじゃんね。」

5、思い出のスポ根マンガはなに?
「スポ根?ならキャプテンかね。ちょっと視点をかえて、野球マンガなら「H2」(大御所は当然水島新司氏だが、あだち充氏の野球の描写は本当に秀逸でH2がその中でも出色だと思う。)、サッカーマンガなら「ファンタジスタ」、バスケマンガなら「スラムダンク」、ボクシングなら「B.B.」(「がんばれ元気」も捨てがたい)、柔道なら「YAWARA」、テニスなら「LOVE」、モータースポーツなら「F」、ラグビーとかいろいろなら「ちょっとヨロシク!」。ってなところで」

ハイ、今日はここまでpaper

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2009年1月24日 (土)

なでしこ浪合S.C.、ガールズフットサルフェスティバルin中野へ。

いろいろまとめておきます。

私とsiの起床、5時。軽く朝食食べて、同時にクルマ暖気。出発準備、

5時35分出発。まずなっちゃんちへ。で、京ちゃんちへ。それからセンターへ。これで全員回収。センターではけんと金がお見送りをしてくれる。

飯田山本インターから中央道を北上。途中私たちの進む方向で通行止めがあるという情報が入るが、その後解除のしらせがありほっとする。みどり湖PAと小布施PAで休憩。小布施PAでは準備運動と軽くミーティング。
「まず守備から。強い気持ちで守ろう。」
と今日のコンセプト。それからスタメン発表。ひとり欠席(うちのso)で5人になったため、全員がフルタイム出場することが明白。ポジションは交代しながらやる。

中野市体育館に到着は9時10分ころ。

浪合S.C.第一試合は9時45分ころから。
対松本ウィングA。
GK ひな DFみほ 右MF京 左MFなつ FWつっきー(ポジション呼称はわかりやすいサッカー風で(笑))

前半0-3
後半0-3
計0-6

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守備意識を高くしようとしていたが6失点。壁の高さを思い知る。技術の差は明白。それは頭ではわかっていたこと。目の当たりにすることができた緒戦。試合後、私とsiは審判当番だったため、選手だけでふりかえり。守備の約束事を確認しあったらしい。

第2試合、対トップストーンB。
GK なつ DFみほ 右MF京 左MFひな FWつっきー
なつとひなをポジションチェンジ。これは予定していたこと。このふたりのみ、GK練習をしている。

前半0-4
後半0-0
計0-4

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連敗。無得点継続。しかし後半無失点で切り抜けられたことがうれしい。試合前に話し合った守備の約束事は後半生きてきた感じ。技術を走ることとファイトすることで補う戦いはしんどいが交代選手はいない。「技術は負けても走ることでは負けないようにしよう。フェイントかけられてもボールはひとつ、あわてないで大丈夫。しんどくて走れなくなったら?カンタン、がんばって走ろう(笑)」

先ほどと同じく、試合終了直後の試合が私とsiの審判ゲームだったため、またしても子どもたちだけでふりかえり。それと昼食。マジゲームをジャッジするのは緊張する。siもずいぶん緊張していた。

第3試合、対エリセB。
前半GKつっきー DF京 右MFみほ 左ひな FWなつ
後半GKなつ DF京 右MFみほ 左ひな FWつっきー

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前半2-1
後半2-0
計4-1

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学年構成、体格的に有利さがあったゲーム。しかし初勝利はうれしい。

得点・・・なつ、なつ、つっきー、みほ。

なつの1点目は開始直後に得られたもの。2試合無得点でのどから手がでるほどほしい得点が、今日初FWのなつがまさに電光石火で決めてくれた。続く得点もなつ。しかしこれがチームに油断を生む。センターサークル付近からミドルを決められ失点したのだが、そのことより楽してプレーしている様子が気に入らない。疲労はあっただろうが、しかし顔にも油断が見て取れる。ハーフタイム、「今日で一番悪いでき。スコアでは勝ってるけど、こんな調子じゃ逆転くらう。勝ちたかったら、ファイトしよう。大事なものをとりかえしてこい」と気合を入れる。

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後半はおかげさまで無失点。そして2点を追加。みほのクロスからゴール前つっきーが落ち着いてトラップ、あわてずシュートの場面はよかった。エースみほも意地の一得点をあげ、よかったよかった。

それから茅野対ファイルのゲームを観戦し、記念撮影をして帰りました。

途中、姨捨SAで30分ほど反省会。ひとりづつ良かった点と改善したい点について話をしてもらいました。私からは、サッカーのためのサッカーに終わらせず、日常のくらしや人生のためのサッカーにしてほしいと小難しい話を少々(笑)。これはサッカーに限らず、キャンプでも登山でもスキーでも、どんな場面でも私が意識していることです。

浪合に到着したのは19時ちょうどくらいです。

来月ももう一度あります。それにむけて練習にも熱が入りそうです。

siは審判係としてつきあってくれました。アザリー飯田ジュニアユースの練習試合もあったのですが、こちらの方が先にスケジュールが入っていたとはいえ、アザリーのコーチや監督さんも「しっかりお手伝いしてきなさい」と快く送り出してくださったようで、感謝です。

ちょうど1試合分ジャッジをしたsiですが、「めちゃくちゃ緊張した~」とのこと。わかります。私も1試合分ジャッジしましたが、判定に自信が持てるように、とにかく走りました。反省点は、間接FKの際にずっと片手をあげておくのですが、それが不十分だったこと、それから4秒ルールの遵守が徹底できなかったことの2点です。

いくつかジャッジしたり、試合観戦したりして思ったのですが、女子の戦いも男子と遜色ないですね。こりゃ南信州でも発掘したらおもしろい人材がいっぱいいるのでは、なんて思いました。浪合S.C.の女子も「わたし、あの○○番(←背番号)のようになりたい!」とかそんな言葉が続出していました。

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私も不覚にも目頭が熱くなるようなマッチアップを見れて感激したり(何かが決まるとか、そんな大層な大会じゃないんですが・・・)、とにかく収穫の多い一日でした。

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2009年1月23日 (金)

チャンネル権

 もやはこういう言葉はあまり言わなくなってでしょうか。
 一家に一台しかテレビがない家庭では、その貴重なテレビで何を見るかを争ってきました。お父さんがプロ野球中継見ているその背中で、バラエティが見たい子どもや時代劇が見たいお年寄りが無念な思いをにじませていたりしたものです。誰が何を見られたかは、きっと各家族の人間関係によって違ったのでしょうが。しかし一家で保有するテレビの台数は増えてきました。そうすると「チャンネル権」は昭和の言葉かもしれませんね。

 ですが、我が家はまだ昭和です(笑)テレビは一台だけなんです。家が小さいこともありますが、意図してそうしています。テレビはみんなで見るものなんです。

 しかしそうはいっても見たい番組が違うことが時々あります。試されますね、家族を(笑)

 たとえば、今夜がそう。

 mは金曜ロードショーが見たい。siはバラエティが見たい。私は必殺仕事人2009が見たい。家内と娘は寝ていて、男の親子3人骨肉の争い。モチーフ的にはギリシャ神話でしょうか(^-^;

 「どうする?」
 謀略の雲が一瞬にして胸に居間を包みます。

 「あ、siはどうしても見たい番組じゃないから」
まずsiが退却します。残るはmと私。
「映画はビデオ屋で借りればいつでも見られるじゃん」
そういってみようかな、と思った私。でも
「必殺仕事人2009だってそのうちビデオがでるでしょ」
と切り替えされたら五分だな、オレの方が大人なだけに大人げなさが残るぞ、なんていつも大人げないくせにそんなことを思う私。
「勉強はどうした?」
受験生mにそう言えなくもないのですが、用意周到なmが21時からテレビを見ようとしているならば、今日のノルマは確実に終わっていると考えていい。「終わってる」彼はそう静かに言い切るでしょう。

・・・

「どうする?」
とこの状況にゆさぶりをかけるm。
「じゃ。」
数秒の沈黙のあと、私が口を開きます。
「くじ引きにしよう。siがくじをつくって、俺とmでひいて、当たった方の番組をみんなで見るってのはどうだ。」
もう、運を天にまかすよりありません。
「いいよ」
とm。決まりです。
「じゃ、そういうことで」
とsiがてきぱきとくじをつくります。なんだかやけにてきぱきしてておかしいくらいです。
 先に私がひき、mが続きました。くじの結果はsiのみが知ります。

「えっと、じゃ、mのあたり」
今夜は金曜ロードショーを見ることになりました。
万事休すです。でも仕方ありません。

で。3人で金曜ロードショーを見ました。ジャッキー・チェンの「香港国際警察」です。たぶん、こういうことでもないと、私は絶対見なかったでしょう。完璧B級映画でしたが、すっきり楽しめました。いいですね、B級(笑)

 結果的に、はい、いい夜でした。

 できたら録画しとくね、なんて言っておいた明、金、ごめんね。そういう事情だったんで(笑)  必殺仕事人2009、第3話のビデオある人、いつでも持ってきてください(笑)


 

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2009年1月22日 (木)

「親と子の育ちあい」 浪合学校PTA講演会

 浪合学校PTA講演会が浪合コアホールにて行われました。
合併するまでは浪合商工会議所との共催だったのですが、合併してからはPTA単独の事業になりました。予算は厳しいですが、厳しいなりになんとかがんばっています。
 合併前からそうなのですが、開催は学校の参観日とあわせて行われました。浪合の学校は小中併設校で、小中のお子さんがいる保護者にはすこぶる都合がいいです。もちろん山村留学の保護者の方も大勢来られました。

 さて、本日の講演会の講師は飯田児童相談所の所長で臨床心理士の小木曽計男(おぎそかずお)さんです。

 テーマは「親と子の育ちあい」でした。およそ1時間のお話でした。聴衆には保護者、教員のほか、中学生全員の姿もありました。将来親になる(だろう)こどもたちが話を聞くことはとてもいいこと。小学生じゃ話が難しいということはあっても、中学生ならなんとか、ということで最前列から座っています。(そうでもしないとなかなか最前列は埋まらない、ということもあるんですがね)
Img_2490mini

 内容についてここで詳しく書くことはしません。印象に残ったことをいくつか。

・中学生ですが、前半の概念的話はちょっとつらそうでした。具体的にいうと、頭をたれて眠気と戦っている姿が散見。しかし後半、事例出てくると頭があがってきました。具体的な話は聞きやすいようですね。しかも話題が「虐待」でしたし。

・「負の連鎖」たとえば体罰を受けて育った子はわが子に体罰をする、いやみをいわれて育った子はわが子にいやみを言う、親の価値観を押し付けられてきた子はわが子に対してもそうする・・・そういうことはぬぐいされずあるとのこと。児童相談所はその負の連鎖を断ち切ることがひとつの大きな仕事、と小木曽さんはおっしゃっていました。

・血縁による家族の絆、はもはや前時代的感性。血がつながっているから「家族」ではなく、「家族になりたい」と思うところから「家族」が生まれる時代。(離婚、再婚、シングルマザー・シングルファザー同士の結婚、ペットも家族) 形而上的家族(←私のことば)あるいはゲゼルシャフト家族(←これも私のことば)は「家族になろう、家族を維持しよう」とする努力が必要。

・児童虐待は長野県でも増えている。虐待には4つの種類があって、それは「身体的虐待」「心理的虐待」「ネグレクト(放置)」「性的虐待」。子どもを私有物と考えるところが虐待の根。また劣悪な経済状況がこどもを見る余裕を奪う。そして、地域で子育てするという感覚がなくなってきている。(これも子どもを私有物とみる意識がそうさせている。ようするに、我が家のことでないことは、「関係ない」。)

・子育てに地域の支援が必要なのは人類の引き継がれた文化。みんなでカウンセリングマインドを持ち(要するに、相手の人格を尊重し、話を聞き、うなづく姿勢)、「自分は自分であって自分でよい」と大人も子どももみんなが思える社会をつくりましょうよ、という小木曽さんの主張には納得。

・生徒の感想発表がうちのmだったのだが、しばらく口ごもっており、ん?と思っていた話しだした。「子育ては連鎖する、という話を聞いた。僕は小学校高学年のころ親にいろいろ言われて追い詰められた気がしていた。今日の話を聞いて、それがどうしてかわかった気がする。僕が子育てをするときには、今日の先生の話を思い出して、いい子育てができるようになりたい」と(いうようなことを)言った。今度は私が頭を垂れる番だった。確かに、そうだった。悪かった。私の子育てが少しでもましになった契機があったとすれば、それは間違いなく、私が昨年、体調を崩した事だと思う。このことはまた、いつか、まとめておきたい。ともあれ、中学生の感想発表の次は、私が謝辞をいう場面だった。・・・困ったね(笑)

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2009年1月21日 (水)

PTA本部役員会・理事会

 今日は朝7時45分に京都の家を出て、浪合に帰りました。京都東インターから大津の間で事故があったらしく、インターに入る直前からずいぶん渋滞になっててどうなることやらと心配したのですが、高速に乗ってしまってからはなんてことなく進むことができました。

 途中、伊吹山がきれいに見えたなあ。

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 12時20分ころセンターに到着し、30分からスタッフミーティングでした。
 たっぷり3時間やりましたかね。

 今日、センターの中3生は受験でふたり帰ります。私が送っていきたい気持ちもあったのですが、諸般の事情でそういうわけにもいかず、別のスタッフが送ってくれました。とにかく、健闘を期待します。

 夜は浪合学校PTAの本部役員会・理事会でした。(siはサッカー、soはスイミング・・・家内が送迎です。mは家で受験勉強です。)

 本部役員会では来年度の役員についてのことや委員の選出のだんどりなどが話し合われました。また学校から今年の給食費のことについて報告がありました。赤字になっていたのですが、いろいろな努力により(不適当に量を減らす、ということではなく)、保護者のみなさんから追徴金をとらなくても大丈夫な見通しになった、ということです。2学期最終日を半日として給食を出さなくしたことや、スキー教室予備日は弁当にするなどの工夫が大きく奏功したようですが、食材をより安く入手するために草の根の努力をしてくださった様子の一部も教えてくださり、感謝感謝です。
 赤字は原材料の高騰によるところが大きく、これは今後も起こりうることなので、PTAではこれを機会に地元農家から直接安価で食材を学校給食に提供できる仕組みをつくることに踏み切ろうとしています。いいことだと思います。できるといいです。
 他には「ほんやり様」の実施日についての意見が出されました。毎年14日に行っている行事で、学校もお休みにして一日がかりの行事として取り組んできたのですが、平日だとこどもはとにかく大人は参加しにくい方もいらっしゃるので、春の例祭同様、休日開催に切り替えることもいいのではないか、そういう話はどこでどんなふうにしたらいいのだろう、なんて話題です。
 これはPTA会長である私が自治会長さんに相談し、部落長さんの集まりの際に話題にしてもらう、という進め方にしようと決まりました。

 会議が終わって学校の外に出ると、雪が降っていました。今夜もいくらか、積もりそうです。

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2009年1月20日 (火)

夫婦ふたりで京都行

ETC深夜割引を使いたくて夜中に浪合を出発、途中のPAでクルマの中でねました。
ワンボックスなので、クルマの後ろをフラットにして体を伸ばして寝ました。もちろん布団持込scissors
愛知県のPAで寝たのですが、暖かかったですね。。浪合じゃクルマの中ではちょっと寝られないと思います(笑)ただね、フラットにしたとはいっても凹凸はあるんですよね。今度こういう機会があったら、コンパネを乗せようかと。朝起きたら腰が痛くて(笑) でもよく眠れましたよ。こういうのは楽しめちゃう方ですからhappy01

朝食は養老SAで。私はきしめん。家内はちらし寿司。であったかいコーヒー買ってクルマに乗り込みます。

BGMは銭形平次や水戸黄門など時代劇のテーマソングが入った「ちゃんばら天国」というCD(笑) 家内は銭形平次に思い入れがあるらしく、初めて知りました。私は「江戸を斬る」「遠山の金さん」の桜吹雪系と「影の軍団」「必殺」ですね。キーワードは二面性、でしょうか。

京都市に入ったのは10時くらい。野暮用済まして念願だった京都府庁の旧知事室の見学に行きました。

 現在の京都府庁は、
Gaikann
明治18年京都守護職上屋敷跡に建設されました。明治37年竣工の京都府庁旧本館は、創建当時の姿をとどめる現役の都道府県庁舎としては最も古いもので、府庁のシンボルとして親しまれているものです。旧知事室はそこの2階にあります。窓からは比叡山がきれいに見えます。設計は松室重光氏。

ちなみに写真は京都府庁のウェブサイトからの流用です。該当ページはこちら。


Gaikann2
見学者はその時間私たちだけだったのですが、案内係の人が熱心にウィットに富んだ説明をしてくださり、とても楽しかったです。(余談ですが京都府知事さんって、歴代府外の方ばかりなんですね。京都府出身の方は一名だけだそうです。)

それから昼食です。ラーメンの「来来亭」の太秦店に行きました。ほんとは常盤小学校の近くにあった「ラーメン藤」に行く予定だったのですが、・・・なくなってたんです。。京都って学生の町だからか意外とラーメン激戦地なんです。いろんなラーメン屋がある。地元人間ではないので詳しくはないのですがね。我が家のお気に入りは「王将」の「こってりラーメン」。「天下一品」もいいですが、サイドメニューの豊富さで「王将」に軍配です。でもいつも王将じゃ、ねえ、ってことで、今日は違うラーメン屋にしました。「来来亭」のラーメンはあっさり醤油味で、これはおいしかったですね。私は醤油ラーメン党ではないのですが、「こりゃいい」と思ったものです。

 で、実家に帰りました。実家には母がいました。父と、弟と義妹が帰るのを待って、祖母のお墓へ行きました。25回忌の卒塔婆を立てに行ったのです。私は帰るたびにお墓参りはするのですが、父母や弟たちといっしょに行くのはたいへん久しぶりでした。

 母の希望で油かけ地蔵にも寄りました。母は油かけ地蔵の信者です。母は一度心筋梗塞で倒れたのですが、
「ほんまに油かけ地蔵さんのおかげやと思っている。退院してから、なんでか知らんけど『油かけ地蔵さんにお参りにいかな』という気持ちになって、それこそ毎日通ったんや。おかげでこうして今でも元気でいられる。ありがたいことや」
ということだそうです。本当、ありがたいことです。

その後は母のお供で京都新聞社に行ったり京都造形芸術大学に行ったりイズミヤに行ったり(笑)して街中ドライブを楽しみました。私の好きな和菓子屋さんの鶴屋吉信にも行きました。この時期のお菓子、「福ハ内」がお目当てです。写真はお店のウェブサイトからの転用です。「梅吉兆」というお菓子も買っちゃいました。母が「ぜんざいでも食べよか」と誘ってくれたのですが、すぐ人を「デブデブ」という母の誘いは文字通り「甘い罠」だと断定、やんわり断りました(笑)

Hukuha

そうそう、今日は母の誕生日パーティをする日でもあったのです。で、夕飯のメニューは手巻き寿司。「くら寿司いったら並ばなあかんし高つくし、やっぱうちで手巻き寿司がいちばんや」とのことです。ネタは私達兄弟からの提供でした。
 親父と酒を楽しみ(これが本当に楽しい。もっとたくさん喋りたいものだ。)、いっしょにサッカーの試合を見ました。が、岡崎が得点をとったあたりから睡魔に襲われ、「この試合は2-1で日本やから」と予言を残し、寝てしまいました。果たしてゲームの結果はその通り。負けることはありえないのですが、若手主体だし、終始ゲームを支配して、おしいおしいが連発で、2-1かな、というのが予想でしたがまったくその通りだったようですね。

 まあ、そんなこんなの一日でした。

 ・・・写真はね。はは、今日はなし!



 

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2009年1月19日 (月)

飯田市社会教育委員会研修にて

 今日は宿直あけ。
 学校はお弁当の日だったので、14人分のお弁当をつくります。といっても、お弁当係はえつとおしん。私は理事長さんと浪合史跡保存会の話とか、そのほか重要事項happy01の打ち合わせなどをしていました。ありがとう、えつ、おしん。

 午後は健和会病院へ。血圧は問題ないです。次回は心電図とレントゲンなどのチェックをすることにしました。まあ、一応ね><

 で、夕方は飯田市教育委員会へ。飯田市社会教育委員会の研修にて講師を務めてまいりました。今回のテーマは「南信州におけるセカンドスクール 成果と課題」。1時間ほどパワーポイントをつかっていつもの調子で(笑)話してきました。

 宿直あけで1時間話すと、ちょいとくたびれますかね。今夜はこれから、野暮用で京都に向います。

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2009年1月18日 (日)

京都に行きます。

火曜日に祖母の25回忌があります。それのほかにちと野暮用があるので、月曜の夜中から京都に行きます。

で、だからってわけじゃないんですがカメラの手入れをしています(だから、ですよね(笑))

ついでに今まで撮影した写真データの整理もしたら、ああ、こんなところ行ったなあと思い出がよみがえり。。ちょいとご披露します。必殺仕事人が好きな私らしいでしょ??
Scan20026Im000298_2   Img_1469mini Img_6794

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2009年1月17日 (土)

冬キャンプ写真頒布会と通年合宿説明会・名古屋編

 今日は名古屋市の東生涯学習センターで表記のイベントをしてきました。

 朝9時30分からのイベントだったので、私達(私と桜)は朝6時に浪合を出てきました。
 名古屋に入ったところで(長久手だったかな)朝マックし、それから現場に入りました。ボランティアお手伝いで、だいこんのお母さんが来てくれました。とても助かりました。

 朝早くからのイベントでしたが、たくさんの方が来てくださり、よかったです。

 しかし、名古屋・・・あたたかかったです。。桜と歩きながら、「なんかさ、秋って感じだね」なんて話をしてました。 Ca390069

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2009年1月16日 (金)

百人一首

 私は百人一首が苦手である。
 いや歌そのものはきらいではない。厳密にいうと、好きな歌とそうでもない歌、どっちでもいい歌とかがあって、要するに古文音痴ではなくそれなりに鑑賞できているつもりだ。
 私が苦手なのは、カルタとりとしての百人一首なのである。
 苦手というより、やる気にならないというか、さ。
 「む」とくれば「霧立ち・・・」ときて札をパシーンとゲットするカルタ取りは、私はどうしても歌に失礼だと思ってしまうのだ。そこに共感とか鑑賞とか、ないじゃんね。
 それでいいのか?と思ってしまうわけ。

 高校のとき、百人一首を全部覚えましょうという取り組みが古文の時間にあったのだが、カルタとりと同じように機械的に全部覚えることが古文の素養向上に役立つとはどうしても思えず、まるで勉強する意欲がわかず、結果3度も追試を食らったことがある。3度目にはさすがに全部覚えてた。とはいえ、上の句と下の句を線でつなぐという問題だったからラクではあったのだが。

 ひさかたのひかりのどけきはるのひに
           しずこころなくはなのちるらむ

 を呪文のように覚えて紀友則の憂鬱によりそえるのか。

なんてね。

  
 

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2009年1月14日 (水)

阿智中建設委員会とほんやりさま

 今日は午前中、阿智村役場にて、阿智中建設委員会がありました。宮の原地区ではほんやり様の準備作業をすることになっていたのですが、こちらの委員会はPTA会長職で呼ばれているものですから、欠席するわけにはいかなかったのです。現地視察もしてきました。

Img_0001

1ヶ月ほど遅れている状況だそうです。法律改正により、設計段階での検査がたいへん手数がかかるようになったことが主な原因だそうです。今後は天候次第というところももちろんありますが

、予定通り進んでいくだろうとのことでした。

 お昼には家に帰れました。ほんやり様はすっかりできていて、子どもたちが傘まわりをしていました。地区の行事とはいっても、子どもたちは全部で4人。うち3人が我が家の子です。ちょっと寂しいですね。お隣の地区はわんさか子どもがいるのにね(笑)
 傘まわりが終わってから、遅い昼食をとりました。

 それから傘をほんやり様のてっぺんに縛りつけ(中学生の仕事。私はあーだこーだ言う係)、いただいたお年玉を持って買出しにGO(私運転)。
Ca390064

 夕方3時半から地区の新年会ということで、宮の原地区の区民が集会所に集まって宴会です。
 で、ほんやり様への点火は5時20分ころでした。
 やー、よく燃えましたよ。桜も一緒の地区なので隣で見ていたのですが、桜は実はほんやり様が燃えるのをはじめて見るらしく、えらく感動していました。
 書初めを練習した紙を天高く舞い上がるように燃やしたり、お餅を焼いたり。子ども会ではみなにいただいたお年玉で買ったお酒を大人の方々についでまわっています。(実はここでスパークリングワインを飲むのもオイシイのです)

 気分がよくなったら、今度は集会所でカラオケ大会(笑)

 宮の原地区は、今年も元気いっぱいです!

ちなみに、上のほんやりさまの写真と同じ時間、同じアングルで撮影したVQ版がこれです。

Img_0003

 

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2009年1月13日 (火)

VISTA QUEST VQ1015で冬景色を撮る。

Img_0009 Img_0018_2昨日の雪はひさしぶりにさらさらのふわふわの浪合らしい雪でした。

服についてもちょいとたたけばはらはら落ちる雪です。

20センチくらい積もったでしょうか。
年に一度でいいから、ガードレールが埋もれるくらい降って欲しいです。それを子ども達に見てもらいたいし、その雪でたらふく、遊んで欲しいです。

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2009年1月12日 (月)

浪合S.C.G.スタート

 今日午後3時、浪合学校体育館にて、浪合S.C.G.がスタートしました。

 今月24日(土)に中野市で行われるガールズフットサルフェスティバルに参加する浪合スポーツクラブの女子チーム(girls)、浪合S.C.G.です。

 浪合S.C.の4年生以上の女子6名でエントリーします。今まで試合というと男子にまじって出場ということしかなかったのですが、女子だけの試合に出てみたいという声は前から根強くありました。なんとか実現してあげたいなあと考える毎日でした。

 そんなおり、長野県サッカー協会のHPに先の大会の案内が出ていたのです。「図書館の天使」体験です(笑)

 試合当日は茶が別件で不在なので、引率、監督は私がつとめます。審判も必要で、そうするとやはり、もうひとり必要です。そこで、si(笑) 先日4級審判の資格もとったところですし・・。mもそうなのですが、やはり受験生ですしね。

 浪合S.C.の通常練習に加え、S.C.G.は別枠で練習します。熱い女子の戦い、楽しみです。
 なお、キャプテンは6年生のみほということになりました。

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クルマの中で・・・1 「必殺仕事人2009について」

 東京説明会に行ったおり、往復10時間くらいの時間があり、クルマで行くのでまわりを気にせずいろんな話ができる。(別にヘンな話はしないが・・一応・・)

 今回話題になったのは、まあいろいろあるのだが・・・たとえば「愛は4年で終わるって話がありましてね」っとかね(笑) これはアメリカの人類学者ヘレン・E・フィッシャーが発表したものですが、まあ概要は こちら をご覧ください。(ちなみにそこのページとはなんら私およびこのブログは関係なく、「愛は4年で終わる」をヤフーで検索したら最上位にあったページなのでリンクしたってことですので。。)
あ、その本「愛はなぜ終わるのか」は こちら 。
それについての私の見解は・・・また一緒にドライブしたときにでも(笑)

 で。

 そこで先日TVシリーズとして復活した必殺仕事人2009の話題が出ました。いずれ本ブログでレポートしなければと思っていたので、以下にまとめておきます。

 まず懸案の中村主水の跡取りについて。
 東山君の仕事人は、ありでしょう。私は支持します。眉毛がりりしすぎますが、そこは芝居好きの渡辺小五郎(しょうごろう、と読むのですね)という役回り、いいのではないでしょうか。ですから東山君が、崩すべき芝居のときはもっと崩すといいと思うんですよね。ていうか、無表情無関心のニートっぽくなるのもいいにかもしれないです。ニートは死語かもしれませんが(笑) 

 あと、これも懸案のドラマの脚本とテイストについて。
 まだ判断すべきではないかもしれませんが、脚本が後期必殺みたいですね。ここでいう後期必殺とは、必殺仕事人Ⅲからってことです。(このへん議論がわかれそうですが、必殺仕事人、新必殺仕事人までは、前期必殺との過渡期とみるべきだと思うんです)
 必殺仕事人2009の第一話では、今でいうホストクラブが登場していますね。そういった現代の事物・事象を劇中に持ち込むのは後期必殺の特徴のひとつでした。これが視聴者に親近感を持たせた、と当時の制作者側は判断していたようです。第一話でそうした仕掛けをした今回の制作者サイドも同様ということでしょう。
 しかしそれは私にいわせれば大間違いで、それが必殺の寿命を縮めた。2008年3月8日放送のsmaSTATIONに藤田まこと氏がゲストで登場した際、当然のことながら「必殺シリーズ」に話がおよぶのですが(ていうかそればっかり)、後期必殺における現代事象のとりあげっぷりは、明らかに失笑を誘うものでした。
 後期必殺の人気は、三田村邦彦や京本政樹、村上弘明ら時代劇に縁のなかったイケメン俳優(京本政樹氏は既に銭型平次でレギュラーを獲っていたので時代劇出身でした。スイマセン。1月13日加筆)が仕事人を演ったという、そのことにつきます。その配置の妙が受けたのです。光と影、善と悪、それらのコントラストと、同時にそれらが表裏一体となってゆくドラマや演出に、彼らが見事にハマったから、人気が出たのです。決して脚本に視聴者が親近感を持ちやすい話題を取り入れたから、じゃないのです。ここは猛反省が必要なところだと私は思います。
 江戸時代の出来事や風潮、風俗に現代のものを見つけるのは結構です。おおいにやるべきです。しかし、現代のものを江戸時代に持っていくのは慎重であるべきです。一目でそれとわかるようにやるべきではありません。繰り返しますが、それは失笑のもとにしかならなりません。いくら現代日本人の教養が低くなっていても、いや、いいですか、教養が低い人ほど、高らかと失笑するものなのです。それをゆめ、忘れてはいけません。馬鹿だと思って馬鹿にしてはいけないのです。
 脚本の方向性をかえましょう。重厚なドラマにしましょう。前期必殺のように、また後期必殺の中でも、必殺仕事人Ⅴ風雲竜虎編や、必殺仕事人・激突!の最初の6話までで挑戦したことがあるように、ぜひ、ハードで視聴者をうならせるような、そんな脚本を期待します。野島伸司氏が書くとどんなになるのか、ちょいと気になったりしている私ですが(笑)

 そして藤田まこと氏と中村主水についてですが、本シリーズは、中村主水の死によって終わるのでしょうね。主水が死ぬのは二度目になりますが、時代劇における宇宙戦艦ヤマトにならぬよう、きっちりと死んでもらいましょう。そのために、主水の「老い」を演出しているのでしょうし。
 藤田氏が前々から言うように、無残にどぶに死体が沈んでいる、というところから最終話がはじまってもいいでしょう。のっぴきならない事情で渡辺小五郎に斬られるのもいいかもしれません。いずれにせよ、2年がかりで東山・渡辺に必殺の看板を渡す準備を着々と進めてきたのですから、きっちり、けじめをつけ、世代交代しましょう。そのためのシリーズとして歴史に名を刻んでいいと思うのです。
 藤田まこと氏の中村主水を愛してやまない、私の本心です。

 殺し技について。
 まあ、なんですね(笑)。レントゲンを復活させたのはいいです。が・・・懲りすぎで時間かけすぎですね。>>涼次。あとデジタル処理が目立ちすぎです。>>からくり屋源太。

 キャラクター設定について
 伊賀忍者はどうかと。文句多くてすいません。
 山崎努演じる鉄が破戒僧で、沖雅也演じる錠が棺桶屋だった理由を、そして彼らが島帰りだったという理由を、ぜひ思い出して欲しいです。また中村敦夫が演じた赤井剣之介が脱藩者のおたずね者で表の顔(職業)すら持てない男だったことや、石坂浩二演じる開国派の蘭学者(もちろん当時弾圧の対象)の糸井貢を仕事人にした理由は何だったのでしょうか。
 断言しますが、必殺は抑圧開放装置としてのドラマなのです。虐げられた人、社会階層の底でうごめく男たちが権威の側で悪事をなす連中をぶっ殺す、そこにカタルシスを見せるのが必殺だったのです。
 だから、中村主水は種なしかぼちゃだったし、婿養子だったし、姑と嫁はあれだけ意地悪をしたのです。いや、ドラマ的にせねばならなかったのです(笑)
 伊賀忍者が仕事人じゃ、その装置は期待できません。抜け忍という設定(組紐屋の竜がそうでしたね)だとしても、それはわかりにくい。その装置がない必殺を、必殺とよぶべきかどうか。

 それから仕事人が持つ葛藤についても言及しておきます。

 からくり屋源太が「仕事人であることに葛藤がある」という設定になっていますが、許婚を殺された怒りで仕事人になった源太の葛藤など、「殺すことが正義か?」程度の薄っぺらい(失礼)ものでしかありません。こんな葛藤を持つ仕事人は、仕事人としては脇役にすぎません。ていうか、かつて主水がにがにがしくはき捨てたとおり、「なんだいあれは」なんです。仕事人は悪人です。極悪人です。落ちきってます。地獄行きです。救われません。
 そこから始まるのが、仕事人なんです。

 スペシャル版では殺しの後、川で幾度も幾度も手を洗う源太に対し、涼次が「その汚れは洗ったって落ちない。一度でも殺しをした奴は云々・・・」という話をします。「俺たちは地獄行きよ。だがその前に、地獄に行くべきやつを先に送ってやる」と続きます。必殺の琴線に触れる台詞です。惜しむらくは、先に述べたとおり、涼次のキャラ設定がちょっとハズし気味ってところでした。

 もとい。

 

 のさばる悪をなんとする。
 天の裁きは待ってはおれぬ。
 この世の正義もあてにはならぬ。
 闇に裁いて仕置きする。
 南無阿弥陀仏。

 この南無阿弥陀仏は、誰のためか。的(殺した相手)のためであり、救われぬ自分のためなんです。
 そして、多かれ少なかれ、人が俗世で仕事をし、くらしをするということは、ささやかながら穢れ、落ち、また時に穢され、貶められるということです。
 だから。

 そこにこそ、視聴者は共感したんです。

 ・・・・と、そんな話を小一時間灯相手にしていた私でしたbleah

 
 

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2009年1月11日 (日)

山村留学説明会 「浪合通年合宿東京方面説明会」

 昨日はなみあい育遊会の山村留学「浪合通年合宿」の東京方面説明会でした。
 担当は私と灯です。浪合児童代表で、soを連れて行きました。「宿題持って行っていい?」とso(笑) 

 朝6時に起きて朝食をとり、7時前に浪合支所に行きます。そこで灯と合流。小雪ふる中、東京へGOです。飯田山本インターから中央道に乗ったのですが、いきなりの渋滞でびびりました。伊賀良(飯田インター)から北がチェーン規制だったので、そこでチェーン・タイヤチェックをしてたんですね。それに由来する渋滞でした。ですから飯田インター以降は順調。途中駒ヶ根あたりはやっぱり降雪と積雪がありましが、それも辰野あたりまで。
 諏訪湖SAで休憩しました。
写真はその時のものです。もちろん、VISTA QUEST VQ1015で撮影。
Img_0001
諏訪湖は微塵も結氷していませんでした・・・

それから後はすいすい。都内に入っても渋滞することなく、首都高を初台で降りて、で、渋谷の国立オリンピック記念青少年総合センターへ。

到着は11時ころでした。部屋の借受は13時(開会は13時30分)からですので余裕です。先に借り受け手続きをして、3人で電車で新宿に行って昼食をとりました。別に参宮橋界隈でもぜんぜんよかったのですが、時間があったものですから。。。ヨドバシカメラや石井スポーツに行って世の中知りたいって気持ちもありましたし(ヨドバシカメラや石井スポーツで知れる世の中って・・・結構私やセンターにとって重要だったりします(笑))

昼食とってから代々木に戻り、説明会準備に入ります。
Img_0006

この時期の説明会は、翌年の一次募集が終わっていることもあり、あまり出足は多くないのが実情ですが、それでも山村留学の広報を配布するスキーキャンプ(育遊会のキャンプはもちろん、こども村のキャンプも)を実施した冬休み明けに行うメリットはあるので、はずせません。

今年も参加家族があり、プレゼンしてきました。参加してくださったご家族は、子ども村の冬キャンプに参加してくれたお子様のご家族でした。soもいくらか浪合学校の説明をしてくれました。参加してくれたお子様の中に4年生の子がいたので、4年生だったsoはなんだかリアルな存在だったみたいですhappy01後はずっと宿題やってたsoですが(笑)

ビデオなどを使って2時間程度プレゼン、それから質疑応答して終了となりました。あ、写真は使用した部屋から見た新宿高層ビル街の風景です。

帰りも順調でした。

談合坂SAで休憩、諏訪湖SAで入浴と夕食。(諏訪湖SAは温泉があるのでいいですね。大人525円。)

うちに到着したのは夜10時ころでしょうか。休憩、入浴、夕食をゆっくりしたものですからこんなものですね。昨年はほぼ同じ日程で、8時30分に浪合支所に到着していたようです。

来週は名古屋説明会です。

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2009年1月10日 (土)

テレマークスキー

 今日はウィンターシーズンはずっと愛用している(そのわりに技術はなかなか向上しない(笑))テレマークスキーについて、ちょっと紹介してみようと思う。

 スキーの原型ということはみなさんご存知だが、意外なことにテレマークの語源はノルウェーのある地方「テレマルク」に由来するらしい。

■ビンディング
 つま先だけ固定して、かかとは上下に動かすことができる(ヒールフリー)。私は長靴以外で雪の上に行くときにはおよそ5割程度がテレマークスキーだ。ゲレンデでもそうだ。アルペンスキーの指導をするときもテレマークであることが多い。ヒールフリーの威力は絶大で、とにかく動きやすい。
 つま先に突出しているコバの底面にある3つの穴をビンディングの先にある突起にさし、その上からコバを金具で固定するスリーピン方式と、コバを固定してかかとをぐるりとケーブルで固定するケーブル式のふたつが主流である。
 現在はステップイン方式などいろいろあるようだ。 

■板
 いろいろある。基本的には次のように考える。
 機動性重視なら軽いストレートな板。滑降重視なら重いカービングの板。

■滑り止め
 大きく二つの考え方がある。
 板にウロコをほり、それで抵抗をつける方法と、毛状のシール(かつてはアザラシやアンゴラの皮を利用したが現在はナイロン製のものが主流)をつける方法である。
 テレマークは板をはいたまま上り下りができることが特徴なので、滑り止めの装備は必須。シール方式の方が登攀能力は高いが面倒ではある。ウロコ方式はシールの脱着が不要なぶん軽快だが、登坂能力はシールに譲る。
 なお、シールは後ろにはすべらないが前には進みやすい。いよいよ滑降オンリーだ!という場面ではずせばいいという考え方もある。
 私はめんどくさがりやなので、ウロコ式を活用している。が、シール式もある。

■ブーツ
 長く皮の靴が主流だった。皮のため、まあ登山靴と似たような風合いだし、歩きやすい。一方で足首が固定しずらく滑降には工夫を要する。
 ヒールフリーであることと安定性にかく靴をはくことで、テレマークターンという独特の技術が必要になるわけだ。が、名人にいわせると、テレマークスキーでアルペンのターンはほぼできる、という人もいる。ゆるい斜面なら、私もできていそうな気がする。

■プラブーツ!!
 1993年にイタリアのスカルパ社がプラスチック製のブーツを発表してからは、他社の追随もあり、たちまちこちらが主力となった。私も試したことがあるが、とにかく足首が安定する。だから滑降能力が飛躍的に向上する。これはテレマーク界における革命で、以降テレマークスキーはターン能力、滑降能力を競って向上させることになる。
 が、だったらアルペンやってりゃいいじゃないか。オフピステに行くんなら山スキー(歩行時、登攀時はヒールフリーになり、滑降時はヒールを固定できるビンディングを使うスキー)やりゃいいじゃないか、という見解もある。テレマークの優雅でスローな雰囲気を愛する原理主義者のいいぶんである。私はどちらかというと原理主義者である(笑)

■ストック
 滑降時はもちろん歩行時や登攀時にも使用することと、オフピステ(ゲレンデ以外)での使用が前提ということもあり、やや長めでリングも大きめである。
 しかし、使用する現場に応じて、たとえば今日はゲレンデでしかすべらないよ、なんてときは、アルペン用のストックでなんら困ることはない。

■テレマークターン
 これが難しい。この難しさが、テレマークの普及を阻害し続けた。
 難しい理由は歩行のしやすさのために皮革製の靴を使用し、ビンディングをヒールフリーにしたことと密接に関係する。とにかくターンの際に板を安定させることが困難なのだ。だから、ターン開始時に外側の足を前に出し内エッジ側に加重、もう片方の足は後ろに引き、膝をまげて踵をうかし親指の付け根に加重する。まったくユニークなターンだ。おかげでゲレンデでよく目立つ。

■スノーシューとの競合と敗北(?)
 テレマークのフィールド重なるのがスノーシューのフィールドだ。どこにでもいけるテレマークとはいえ、難度の高い斜面は苦手だ。もっともプラブーツの登場以降、そうした斜面に挑戦できる技術的背景は出来てきたし、実際そういうところにもテレマーカーが出現するようにはなってきたが。
 ともあれ水平志向のテレマーカーは1990年代後半にはスノーシューに鞍替えする者が多数出た。東北地方にある自然学校の校長は、あきらかにその頃にそれぞれの利用者数が逆転した、と証言している。
 私も、スノーシューを愛用している。スノーシューは滑降することは放棄したかわりに、転倒する危険性もなくした。また滑降しないために難しいターンの習得をしなくていい。速度は落ちるが止まる曲がるはとにかく容易で歩くのと変わらない。練習がほとんど不要なのだ。
 練習なしで雪原に出られるなんて、やっぱ魅力だろう。
 私としてはカメラ機材をかついで雪原に出ることが多いので、やはり転倒は怖い。そうすると、撮影メインの場合はテレマークを躊躇することが出てくる。

■テレマークはワルツだ。
 でも、テレマークを放棄する気にはなれない。機動力があって滑れる道具としての魅力は中途半端、という言い方ができても、私の判官びいきなところや中途半端好きなところがそうさせるのか、テレマークをきらいになれない。
 自転車とバイクと自動車が共存しているように、テレマークとアルペンとスノーシュー(その他もろもろ)はみんなちがってみんないいのだ。
 とりわけ、テレマーク好きになる前の壁であるテレマークターン。いかにもスローで優雅なテレマークターン(滑降好きのテレマーカーのターンはそうではない)は、見た目も
ターンのタイミングも希少性もそれから求心力も、なんとなく、ワルツなのだ。


 

  

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2009年1月 9日 (金)

「誰もしらない 世界と日本のまちがい」 松岡正剛

 今読んでいる本である。

 

日本文化研究の第一人者である松岡氏は猛烈な読書家でもあり、自身のライフワークでもある編集工学の冴えもあって明快な文化博物学者という言い方ができるのかなと思う。文化には歴史の背景の理解が必要で、歴史の理解とは縦横なものでなければならない。松岡氏はそのことに関しても当代一流といっていいだろう。
 そんな氏が著したこの図書は、世界史の中の日本を俯瞰して見せ、自由と国家と資本主義についてわかりやすい説明で構成されている。
 明治以降の日本が帝国主義というグローバルスタンダードを受け入れ戦争に明け暮れていったというくだりは、石川啄木でなくても、なにか悲壮感を感じてしまう。そしてその悲壮感は、今日に続いているという点が重要な気がする。

 アマゾンの同書のコーナーへは こちら から。

 松岡正剛氏の「千夜千冊」も紹介しておく。刺激的な一冊に出会えることは間違いあるまい。

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2009年1月 8日 (木)

冬キャンプ3組とクルマの移動

 2日前までなみあい育遊会主催事業の「予想外!冬キャンプ3組」でした。私はディレクターをつとめていました。
 こどもの参加者が32名と、遊楽館を宿泊場所にして行うキャンプにしてみれば、やや多い数でした。人数が多いとにぎやかなのですが、ことスキーキャンプでは困ることがあります
 そう、移動です。冬は道が凍結していて、マイクロバスによる移送が危険になります。なので4駆の自動車を利用するのですが、そうすると一回に移送できる数が少なくなります。なので複数回車を出すことになります。
 今回は2台のワンボックスカーと1台の軽バンを使用しましたが、それでも2往復は必要でした。マイクロバスだと一回ですむのですが、小さい車だとどうしても複数回になる。そうすると、「移動」という動きだけで、「待機する」という時間が発生し、全員が移動し終わるのに、たとえば今回なら40分が必要、というようなことになってしまいます。朝の行きと夕方の帰りをあわせると80分。ちょっとした時間です。1台で行くなら10分。行き帰りで20分ですから、1時間余分に時間がとられたことになります。1時間・・・。
 しかし安全が大事ですから凍結路でも安心な車を使用するという判断は動かせません。
 おかげさまで今年も無事故だったのですが・・・

 それにしても、遊楽館から国道につなぐ道がより安全で快適なものになるといいなあ、と思います。たとえば、冬はムリにしても、雪のない季節だったら大型バスが入れるほどの道になるといいなあ。そうなれば、マイクロバスはますます入りやすくなるし、遊楽館もたくさんの方により一層使ってもらいやすくなるのですが。またそれだけの規模の道になると、冬季の移動の安全度も増すと思いますし・・・。

 

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2009年1月 7日 (水)

甲府のスタはゴル裏の芝生がヨカッタのだが。

Stadiumr_591_41662133_o 3連発です(笑) 貯金使いはたしそう。。

ここは「小瀬スポーツ公園陸上競技場」です。

設備はまあまあ。屋根はない。売店は少なかったなあ。いや、数はあったけど、客さばきがイマイチで、ずっと行列だった。あの快晴の日にビールが前半終了持たずに完売はいただけない。
 芝生はいい感じだったが、専スタなのにどうして観客席からピッチまでが遠いのだろう。そこが最大に残念だったところ。
 立地条件は、きびしいなあ。環境は海のそばだし風は気持ちいいしでいいのだが、公共交通機関とのアクセスが悪すぎやしないか?その分、駐車場は大きかったが、しかし車移動前提のスタってのもどうかと思った。
 そうそう、スタのとなりに練習場があって、そこの芝生もスタなみに美しかった。ボールを蹴りたくなる芝だったなあ。その日はたぶん福井市の小6のトレセンが練習してましたよ。

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2009年1月 6日 (火)

福井県にもいいスタジアムがあるんですよ。

Stadiumr_911_2810da62_o 連日すいません(^-^;
テクノポート福井スタジアムです。
2年前に一度、行きました。

設備はまあまあ。屋根はない。売店は少なかったなあ。いや、数はあったけど、客さばきがイマイチで、ずっと行列だった。あの快晴の日にビールが前半終了持たずに完売はいただけない。
 芝生はいい感じだったが、専スタなのにどうして観客席からピッチまでが遠いのだろう。そこが最大に残念だったところ。
 立地条件は、きびしいなあ。環境は海のそばだし風は気持ちいいしでいいのだが、公共交通機関とのアクセスが悪すぎやしないか?その分、駐車場は大きかったが、しかし車移動前提のスタってのもどうかと思った。
 そうそう、スタのとなりに練習場があって、そこの芝生もスタなみに美しかった。ボールを蹴りたくなる芝だったなあ。その日はたぶん福井市の小6のトレセンが練習してましたよ。

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2009年1月 5日 (月)

長野県サッカーの聖地 アルウィン

Stadiumr_912_03371891_o たまには忘れてなかったことをちゃんと証明することも必要かと(笑) スタジアムシリーズです。。


見易さという点では文句はない。トヨタスタジアムほどじゃないがやや高めの観客席からはピッチ全体がいい感じで見渡せる。芝もいいなあ。うらやましいぞ。
売 店は少なかった。ちょっと物足りない気がした。立地だが、インターから近く、車派の私には便利。空港のそばなので松本駅からのアクセスも悪くはないが、バ ス停からだいぶ歩くことになる。高速バスを利用する場合は高速バスのバス停から30分くらい歩かないとダメじゃないかな。松本山雅がJにあがるころには、 このへんも改善されているといいのだが。
にしても、ここは長野県サッカーの聖地。それに見合うだけの施設だと、私は誇りに思ってますよ。

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2009年1月 4日 (日)

異人の球譜 1 長島茂雄と寺山修司

 長島茂雄は伝説のスラッガーだが、野球以外のエピソードにも事欠かない人物で、その中に次のようなものがある。
 彼が現役だったころ、ホテルだか旅館だか、詳しいことは忘れてしまったが、チェックイン用紙に職業を記入する欄があって、彼はそこにこう記した。

「長島茂雄」

 石原裕次郎がそうであったように、彼もまた時代の子であった。この国が日の出の勢いで成長し、成長することがよいことだと素直に信じることができた、幸せな時代の子だった。
 経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言した昭和31年の翌々年、長島茂雄は日本プロ野球界にデビューした。彼のデビューはよく「四打席連続三振」の逸話とともに紹介されるが、これは彼が長島だったから話題になったのであって、彼でなければこうまで国民の記憶に残り続けはしなかっただろう。
 長島茂雄はV9時代のジャイアンツの主力として、そして高度経済成長を支え続ける日本人にカタルシスを与える存在として君臨し続けた。華麗なるフィールディング、野性味あふれるバッティング、ここぞという場面で必ず期待に応える勝負強さ、そして時折見せる大チョンボ。
 長島は、彼が長島茂雄であるということで、十分商品価値を持っていた。そしておそらく、そのことを彼自身も知っていたし、そうなるように工夫や努力を重ねてきた。
 先のエピソードは、だから面白みがある。
 もっとも真相は、彼得意のおっちょこちょいに間違いないのだが。

 同じようなエピソードを持つ男が、もうひとりいる。
 その男は、「職業は?」と聞かれてこう答えた。

「寺山修司」

 詩人、句家、作家、作詞家、シナリオ作家、映画監督、競走馬評論家など、まさに領域、なるものを超越して活動していた彼だからこそ、恣意的に、そして少々の洒落っ気と自負心を添えて、そう言ったのだろう。

 寺山修司といえば、このところちょっとしたブームである。(この原稿は15年前に書いたものである 作者注) 彼のさまざまな文章が、次々と世に復刻されてきた。そうした一連の図書の中に、「勝者には何もやるな」というエッセイ集がある。(立風書房刊) そのオビには
「さらば長島よ。云々」
といった文字が書かれており、さらには
「焼け跡の青草を育んだ、野球少年の夢を60年代の傷だらけのヒーローに託して語る 寺山修司のフィールドオブドリームス」
とあった。

 野球関係の本は手当たり次第に購入する、という方針を数年前から励行していた私は、迷わずその本を手にとってレジに向った。
 家に帰ってから早速読み始めた。寺山修司が長島茂雄をどのように語っているのか-同じようなエピソードを持つ文人が、もうひとりのアスリートに対して何を言うのか-このことが私は気になって仕方なかった。だが、読み進めるにつれ、そんなことはどうでもよくなった。

寺山修司は言う。
「私は回顧するには若すぎるが、キャッチボールエイジが懐かしい。愛とか連帯とかいったことばが死にかけて、ただ空疎な無力感が支配しかけている時代に あっては、見知らぬ人たちにボール一つ持って、『やるか』と言えば気心が通じたような日々こそが本物だったという気がしてくるのである。」
またこうも言う。
「安保闘争を語らずに、戦後民主主義を語れないという同時代の友人がいる。だがそれはナンセンスな発想である。野球を語らずに戦後民主主義を語れないという世代があるとしても、安保闘争を語らずに民主主義を語れないという世代がある筈がない」
 寺山修司はキャッチボールのなんたるかを知っているし、野球のなんたるかを知っている。彼の紡ぎだす言葉が、私の心を揺さぶった。 

 私の中で、日本プロ野球における異人たちの足跡をもう一度眺めてみたい、という気持ちが膨らんできた。あまたいる野球選手の中で、ひときわ輝く個性を発揮し時をつかんだ男たちがいる。野球というローカルで難しくそして詩的なスポーツの中で、男たちが投げる、打つ、走る、あるいは采配することを通して叫んでいた声を、もう一度聞いてみたいと思うようになった。

 三原脩、長島茂雄、王貞治、高橋慶彦、江川卓、落合博満- 日本を熱狂に巻き込んだ男は、日本の民主主義、個人主義のあり方にも確かに一石を投じていた。

 以下、時々思い出したように掲載する。
 coldsweats01

 <初出・・松川通年合宿所通信「あるこうあるこう」 1993年6月号>
・・・それにしても通年合宿の通信でこんなのを縷々書いてちゃダメだねwobbly



 

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2009年1月 3日 (土)

中央道を北上しながら

 昨日深夜、京都から浪合に帰ってきた。
 夕飯を食べてから京都を出て、浪合に到着したのは午前1時30分くらいだったか。

 車の中で、家内と話しをした。
 私が感じたよもやまの愉快なこと、不愉快なこと、それを通して感じたことなど話した。
別にどうという意味はなく、眠気覚ましの話題だった。

 そんな中ひとつで、私は
「いい大人のくせして、人が話している途中で割り込んでくる人がいたんですよ」
なんてことを言った。
別に家内が
「なああにいいい!」
などと言ったわけではない(笑)。ちょっと黙っていた。

「で、オレは、まあおとなしく割り込まれたままにしてたんですよ」
と続けた。

そしたらぽつり、
「それがいいね」
と家内が言った。

それから家内はゆっくり言葉を選びながら、
割り込んでくる人は勝ちたい人なのよ、と言った。
つまらない場面でも勝ちたいって人は、なんだかかわいそうな人なのよ、とも言った。

ふだんにない、なかなかの切れ味だった(゚0゚)
それにまずびっくりし、その言葉にも深く納得した。そうかもしれない。

失礼であることは間違いない。でもその失礼をとがめるのも角が立つ、そんな場面ってのはある。

まあファウルに対していつも厳格に笛を吹くだけが能じゃないということか。

ファウルを流すことも場面によっては大事なんだな。流したのなら、そのことについて怨念は持たない方がいいのだろう。なかなか難しいことだが。

他にもいろいろな話題があった。

「言えば、わかるか」
「わかれば、変われるか」

「理性や合理性といったものは、感情や気持ちといったものをコントロールしきれるか」
「・・・そんなわけないし、コントロールできたとして、それが人生の達人ってわけでもなさそうだなあ(形而上のものは形而下のものの上位にあるわけではない。下部構造が上部構造を規定する、もんなあ)」

そんな話を、中央道を北上しながらとりとめもなく続けていた。

浪合についたとき、気温はマイナス4度でそれほど寒くなかった。
星がものすごく、輝いていた。

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2009年1月 2日 (金)

立木観音へお参り

 今日は母のおすすめで、滋賀県大津市にある立木観音へお参りに行って来ました。
 弘法大師が42歳の時にここに光る木をみつけ、光る鹿に乗せてもらってたどり着き、ここに観音菩薩の像を刻んだことから厄除け観音として世に知られています。
 私も厄年なものですから、厄除けのために行きなさい、というわけです。ドライブがてら、母と、家内と、私の3人で行きました。
 道脇に車をとめ、700段あまりある石の階段を上ると、立木観音のある安養寺につきます。700段の石段は登り応えがありますね。家内は500段くらい登ったところから忘れ物を思いついて車に戻りましたから、合計1200段ですか・・・ご苦労様でしたcrying でもたぶん車で待ってるかなーとか思ってたのですが、再び登ってきた彼女、なんていうかその・・・すごかったです(笑)Img_2339
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2009年1月 1日 (木)

今年の初詣

 あけましておめでとうございます。

 今年もよろしくお願いします。

 今年の初詣は、未明に福王子神社、吉田神社へ、私と家内、それから母と弟、義妹で行きました。
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 それから正午ころに白峯神社(私とmとsi)、午後に北野天満宮へ行きました(家内とmとsiとsoと兄と兄の娘ふたりと義妹とその娘)。

 それからお店の初詣ですが(笑)、家内は義妹とsoとダイヤモンドシティ・ハナへ、mとsiはKAMOへ行きました。それぞれ福袋をゲットしております、ハイ。

写真は吉田神社にて。VISTA QUESTで撮影しました。暗くても結構写りますね!
それと、初サッカー観戦は天皇杯決勝。ガンバ大阪対柏レイソル。
サンガをやぶったレイソル、石崎監督最後の指揮となるレイソルに勝ってほしいなあと思っていた私ですが、結果は西野ガンバの帝王采配が必勝石崎采配の上を行き、延長後半から出場した播戸が決勝点をあげ、1-0でガンバが勝ちました。ガンバはこれでACL出場権を獲得。うん、さすがです。
 フランサの技術もさすがでしたが・・・。もっと若いころの彼をたくさん見たかったなあと思ってしまった私です。
 いい試合でした!!

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