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2007年10月 3日 (水)

元祖むらさき観戦記-1

ええと。私は別のブログで京都サンガF.C.の観戦記を書いています。そのタイトルは「むらさき観戦記」といいます。

むらさき観戦記には他に写真集があって、もちろんプライベート写真集ですが、それは浪合通年合宿センターにおいてあります。4年前から1年に1冊、毎年出しています。だいたい、私が撮影したものです。あと、息子たちの写真もまじっています。

で、それらにさきがけ、「むらさき観戦記」の名まえで一冊の本を書きました。もちろん、プライベートな本ですよ。本屋に売ってるはずありません(笑)

それは、私が京都サンガF.C.に家族とともに傾倒していった経緯を書いたものです。で、パソコンのデータを整理していたらそのデータが出てきたので(笑)、これからときどき、連載していきます。長いので、まあお気楽に。もちろん、読み飛ばしてもらってOKです。

「またむらさき観戦記か、ちぇっ」ってなもんで大丈夫。週2回、水、木あたりにアップしていきます。

では。・・

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プロローグ

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 京都パープルサンガを本当に気にかけるようになったのは、2003年8月中頃あたりからか。
 その年の元旦、天皇杯決勝で鹿島アントラーズを2対1で下したサンガの試合を、私は京都の実家のテレビで見ていた。地元チームの躍進はうれしいものだ。黒部光昭というプレーヤーの顔と名前が初めて一致したのは、恥ずかしながらこの試合だ。
 その後、新聞紙上等でサッカーの日本代表のメンバーを見て、黒部や他のサンガの選手の名前を見つけるたび、うれしくなっている自分がいた。故郷のチームは良いチームをつくってきたんだなと思った。

 京都パープルサンガは、しかし2003年ファーストステージは苦境にあえいでいた。
 新聞のスポーツ欄やスポーツニュースを見るたび、サンガは負けていた。でも私は「天皇杯優勝チームがいつまでも負け続けはしないだろう、去年のリーグ戦も出足は悪かったが結局年間順位はよかった(5位)し」とタカをくくっていた。
 ところが、ファーストステージは全16チーム中最下位で終了。勝ち点が15試合やってわずか10(勝ち点とは、ゲームの成績によって付与される点数。勝ちチームには3点が与えられる。引き分けの場合は相互に1点づつ。負けチームは0点。Jリーグの順位はこの勝ち点で争われる)。得失点差もマイナス20(得失点差とは、チームの総得点と総失点の差。勝ち点が同じチーム同士の場合、得失点差の高い方が上位にランクされる)。
 ぎりぎり降格圏外(14位)の大分トリニータが勝ち点15、得失点差がマイナス1だから、サンガとの差は大きい。

 このままだと我が故郷のチームは、J2(2部リーグ)降格である。

 私は野球少年だった。ポジションではセンターを長くやり、打順は2番とか6番が多かった。サッカーはどちらかというと苦手だった。
 中学以降、登山やキャンプなど野外活動にはまってしまった私にとって、サッカーは四角いラインに囲まれたちっぽけな箱庭競技のひとつにすぎなかった。私の中での球技は、珍しく箱庭競技でない野球だけ。ホームベースから翼をひろげたようにどこまでも広がるグランドを見ると、わくわくしたものだ。
 そんな私だが、Jリーグが発足した当初は注目した。それはプロ野球の斜陽化に拍車をかけやしないかとの不安からだった。したがってドーハの悲劇もフランス大会の屈辱もどこか人ごとだった。
 だから、故郷に生まれたプロサッカーチームの京都パープルサンガへの思い入れなど、当時はどこにもなかった。どういう経緯でサンガが誕生したのかも知らない。後に、当時チーム設立と市への応援要請のために25万人もの署名が集まったと聞き、京都にもそんな熱い思いが結集したんだと妙に感心したものである。
 私がサッカーへの関心をぐんと深めたのは、2002年のワールドカップ日韓大会からである。メディアの盛り上がりに乗せられたわけだ。

 それでも、W杯以前のサンガ絡みで印象に残っているシーンがふたつある。もちろん、テレビで見たシーンだ。
 ひとつは2000年のシーズン終盤、たしかヴェルディ戦のことだったと思う。この年も残留争いをしていたサンガだが、そのゲームでカズ(三浦和良 現横浜FC)がハットトリックを達成した。試合は勝ったが、しかし依然降格圏内。その時カズは「プロである以上、最大限の努力をしなければいけない」とインタビューで答えていた。カズといえば過剰に腰をふって股間に手をあてる奇妙なカズダンスのイメージが強すぎてちょっと敬遠気味だったのだが、この瞬間、彼のプロフェッショナルな魂に触れた気がして感心した。
 ふたつ目もその年の出来事で、やはりカズに関してである。降格が決まった時、カズが移籍を口にした。
「自分をアピールするためには、J1にいなければならない」
と。もちろん、日本代表入りへのアピールである。もうチャンスは多くない、とも語っていた。おそらく、自分の年齢を考えての発言だろう。サッカー選手の旬は短い。
 確かカズは、きちんとしたスーツ姿で、広いネクタイをしていた。カズはW杯フランス大会で、現地で代表チームから除外されるという屈辱を味わっている。それでも上を向いて進もうとするその姿勢に、胸を打たれた。スゴイ奴だと思った。
 カズがサンガを去ることに、特別深い感慨を持ったわけではないが、故郷京都からカズがいなくなることに関しては、なんとなく寂しく思ったものだ。
 サンガは翌年J2を制覇し、1年でJ1復帰を決めた。当時の記録を見ると、黒部光昭(現ジェフ千葉)がストライカーとして台頭し、朴智星(現イングランドプレミアリーグ、マンチェスターU、韓国代表MF)や松井大輔(現フランス一部リーグ、ルマン所属)がその類希な才能を開花させての復帰であったことを物語っている。
 翌年のシーズンはJ1年間5位というサンガ最高の成績でフィニッシュし、そして天皇杯を制した。関西のJチームでこのタイトルを持って帰ったのは、サンガが初めてという快挙である。
 勢いづいた京都市では、サンガのために新しいスタジアムをつくろうという話が本格化した。即座に10万人の署名が集まったという。

 サッカーの事に関して不案内な私だが、サンガ2度目の降格はただごとではないと思った。もしかすると2度とあがってこれないかもしれない、という不安が頭をよぎった。私はW杯日韓大会以降、サッカーに心を奪われつつあったし、天皇杯優勝以降のサンガにかなり注目するようになってもいた。故郷からJ1のチームがなくなることを考えると、カズがいなくなること以上に寂しく思うようになってしまっていた。

 それが現実になる前に、西京極に行こうと決めた。

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