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2007年7月 5日 (木)

ささやかなことを大切にしよう。

びっくりすることはいろいろある。

きれいな星空を見て「プラネタリウムみたい」、とこどもがいうのはすでに古典である。死んで動かなくなってしまったカブトムシを見て「これどこに電池いれればいいの?」ってのも古典である。わたしがこの耳で聞いたのは、もはや15年も昔のことになる。

カブトムシを飼っていて、昆虫ゼリーがなくなると、「たいへんだ食べさせるものがない」。

カブトムシは昆虫ゼリーのなる木で育っているわけではないのだが。

体験のなさは本当にいびつな人間をつくる。

体験といっても、ひとつひとつはささやかなことだ。星を見る、生き物を飼う、料理の手伝いをする、紐靴をはく、ボール遊びをする、こどもたちだけで遊ぶ、勉強する、がまんする、・・・。

でも、それらひとつひとつが不十分だと、不十分なまま大きくなる。

せっかく、母親の胎内で受精し、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類と進化を続け、ヒトとして世に生まれ出ても、ヒトとして十分に育たないまま、文化文明のなかに放り込まれ、文明人として生きようとしてもだ、ヒトとして不十分なままで文明人になれるはずがないではないか。ヒトから文明人の間のミッシングリンクは大きくなるばかりだ。

「こどもが遊ばない」>>遊べるこどもになるように育てたのか。そもそもこどもたちが遊べるコミュニティを維持する努力をしてきたのか。

「こどもが勉強しない」>>勉強が習慣になるように育てたのか。そもそも、親が時間をさいて勉強をみてやろうという気があるのか?勉強は学校にまかせる、って本気で全面的に思っているのか。

「靴紐が結べない」>>トレーニングしたのか。ていうか、教えるのが面倒だからマジックテープの靴ばかり与えていないか?「安いのよね」とか「小さい靴で紐なんての、ないのよ」なんて言い訳してないか?あるぞ、20センチ以下の紐靴。

「好き嫌いばっかりする」>>しないようにしてきたのか。ていうか、食事、いっしょにしてる??

・・・・

これがひいては、

「子育てできない親」を育て、再生産してゆく。

「子育てできない親がいる」>>>子育てできるヒトを育てたのか。ていうか、子育てしてきたのか??

これらひとつひとつは実はささやかなことの積み重ねだ。公式みたいなのがあって、パッパと効果があがったり答えが出たりするものではない。子どもが大人になるには時間がかかる。それが15年か20年かは見解の相違がありそうだが、ともあれ現代社会のスピードとは相反する、流行の言葉でいうならスローライフな感覚が必要なものなのだ。

しかし世の中、スローライフが賞賛されてはいるものの、それは逆説的で、希少価値がたかまったからこそ、賞賛されているのだ。ジツはパソコンやインターネットの普及などで、合理性や即時性は未曾有の極大値に向かっていると考えるべきだ。

人間の生活で野生が残っているところがあるとすれば、それは眠ることと食べることと恋愛することと、そしてこどもを育てることだろう。そのうち眠ることは別として、食べることと恋愛はスロでなくてかまわない。インスタント食品の普及はいわずもがなだし、恋愛もスピード勝負ってところがある。

話がそれるが、結婚生活は別だ。スローなものだ。スローなものは現代人にはそぐわない。だから、猛烈な勢いで離婚が増えている。

子育ては、スローなものだ。これと睡眠が唯一、残されたスローなる野生かもしれぬ。しかし睡眠のスローさはせいぜい8時間とか10時間。まれに24時間とかあるかもしれないが、子育てのスローさと比べるとまるで規模が小さい。

子どもをヒトにすることが、大人の、親の役割だ。ヒトになるために自然体験活動は必要だし(だってヒトは動物だから)共同生活体験も必要なんだ(だってヒトは群れをなす生きものだから)。そしてそれは、文明人に残された貴重なスローライフ実践の場で、合理性即時性とは一線を画す感覚が必要な活動なのだ。ささやかなことの積み重ねのみ、効果を発揮する。

雨垂れのみが、石を穿つのだ。

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