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2006年5月19日 (金)

かなり昔の本ですが。

 The Blue Days Bookって本(写真集?)がある。竹書房から出版された本だ。平成12年12月が初版。かれこれ・・・6年ばかり前の本。まあ、癒し系の本と言っていいだろう。私がこの手の本を買うのは、めずらしい。熱血系が好きなもので(笑)

 

 それにしても、本書を写真集というには抵抗がある。確かに写真に多くのスペースを費やしている。しかしこの書における写真の意味は、いわゆる「写真集」におけるそれとは明らかに違う。

 一ページに一枚の写真と、それから数行の言葉。言葉は次のページへと連続して一貫したメッセージを形成し、最終的に人生の応援歌となっている。しかし写真に連続性はない。あるとすれば、すべて動物の写真、ということだけだ。

 一ページの写真と数行の言葉は、それで完結した世界になっている。この本における写真は、その頁に書かれてある言葉の意味を増幅させる装置であり、時にはベタに、時にはユーモラスに、時には逆説をもってその言葉を補完している。

 読者は奇妙な気分に陥る。完結した世界を楽しみながら(時には文字通りふきだしながら)ページをめくるが、連続性を持った言葉は読者の心を別の方面から揺さぶってゆく。断片化された世界がぐるぐる螺旋を描きながら読者を引き込み、やがて「感動」という約束の地へ誘うのだ。

 断片的な世界(=写真)は連続性を持った言葉によってつながりを持ち、明るく肯定的な世界観となっている。

 これは当然、写真の力によるものではない。この本に掲載されている写真は、それぞれを単独で見ても、決してこの書で感じるような印象を受ける写真ばかりではない。

 だが、本書において写真はバツグンの威力を発揮している。たぶん、言葉だけを抜き取って一冊の本にしても、誰も見向きはしないだろう。つまり、写真だけでも凡庸、言葉だけでも陳腐なのである。

 にも関わらず、この本は売れに売れた。多くの読者が心を奪われた。続編も、類似本も数多く出版された。なぜか。

 それは、写真の持つ記号内容を言葉が増幅したり変換したりしてしまう、その表現方法が新しかったのだ。写真の下の数行の言葉が、写真の生の意味を解体し、別の意味を吹き込んでいる。読者は本が持つトータルなメッセージよりも、その見せ方を楽しむために金を払ったのだ。

 この本の写真がすべてモノクロである理由もそこだ。写真の生の意味を軽減するために色情報をなくし、意味の転換を容易にしているのだ。

それは多分、言葉についても同様だ。饒舌な文章はなく、全てシンプルな言葉だが、そうでなければならなかった。写真と言葉の、どちらが重くなりすぎても成功しなかった筈だ。

写真と言葉が新しい意味の見せ方を見つけた。そのことで感動への回路の選択肢が増えた。内容のソフトさとは裏腹に、随分と刺激的で野心的な書だ。

だけど、一回読んで、お蔵行きになっちゃったな(笑) 

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