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2006年3月16日 (木)

さよなら、アイガモ

 昨日の話ですが、アイガモをしめました。センターで飼っているアイガモです。

 春から飼っています。田んぼで活躍してくれました。うちの田んぼはアイガモ農法でやってるんです。除草剤はいらないし虫は食べてくれるし水と土をかき混ぜてくれるし、いいことだらけです。雛から飼うのですが、みんなかわいがります。えさをやることもあるので、人の後ろをついてまわります。呼ぶと返事します。私も正直、かわいいです。

 2羽飼っていましたが、1羽は獣(きつねですかね)に食べられてしまいました。で、昨日、残った1羽をしめたわけです。

 これは思いつきでやってることではありません。食への意識を見直す、食と命をダイレクトに感じるという目的を持ったセンターの活動の一環で、雛を飼い出したときからしめて食べることは決まっていました。今年初めての活動でもありません。毎年のことです。

 今回は中1と中3の子がアイガモを捕らえ(小屋に入れるときもありますが、ふだん放し飼いです。食するための絶食も今回はしていませんでした)、中3の子が体を抑え、私が首に包丁をいれ、動脈を切りました。一回では動脈を切断することができず、二回刃を入れました。今までは一気に手斧などで首を落としていたのですが、それだと血液が十分出ないのだそうです。確かに今まで、「血ってこんなものしか出ないのか?」と疑問でした。今回は頚動脈を切ったので、心臓がしばらく動いている間に、その力で血液がずいぶん出ました。文字通り、ドバっと出ました。この場面は、小学生も何人か見ていました。

 かつて私は全員に「目をそむけるな」などと厳しいことを言っていましたが、今は「見ることができる人だけでいいよ」と言っています。やはり、かわいがってた生き物の命を奪う場面は、しのびないものです。相当の覚悟がいります。ここに来るまで、魚を解剖することすらしたことがない生活をしてきたこどもたちです。山村留学で相当いろいろやってきてはいるものの、やはりアイガモほど大きな動物の命を奪う作業は正直キツイと思います。だから、それを直視せよ、ということにこだわるのではなく、そのことが起こっている現場周辺にいてもらうことだけでも大きな体験になる、と私は思うようにしたのです。普段とのギャップが大きすぎる体験は、こちらが思うような効果を上げないばかりか逆効果になることもあるのです。

 しばらく羽や足を動かしていたアイガモですが、そのうち動きはなくなります。足を縛り、木にぶら下げます。それから羽をむしりとります。実はこの作業も結構たいへん。大きな羽はともかく、小さな羽まで全部とるのは相当時間がかかります。

 なので私は、ある程度とれたら包丁をつかって皮下脂肪ごと羽をそぎ落とすようにします。こうすると効率よく短時間でとれます。それでもとりきれないものは、バーナーで焼いてしまいます。

 この作業は私と中3、小5、小4の男の子と一緒にやりましたが、途中で小3と小4の女の子も見学に来ました。

 40分ほどで、アイガモは肉の塊になります。

「ここまでくると、もう『肉』だね」

中3の子が言います。

「かわいそう」

「でもいつも肉食べてるじゃん」

「そうだけど・・・」

小学生たちはこんな会話をしています。両方の台詞はそれぞれ真実です。私も

「人間は命をいただいて生きてるんだよ」

とか

「だから食べ物を大切にしましょうね」

とか、そんな説教じみた言葉を出せないでいます。そんなことは百も承知なんです、みんな。でもそのことを裏付ける体験がないんです。それを今してる。言葉はいらない、って感じです。

 中3の子がいいました。

「なんだかオレたち、いいことしてるんだか悪いことしてるんだかわからなくなった」

私はそのとき、

「そうだな」

と相槌を打ちました。

「生きるって、そういうことかもな」

そんな言葉が出掛かりましたが、それは飲み込みました。私の脳裏には、池波正太郎氏がよく自分の小説に書いた言葉「人間はいいことをしながら悪いことをし、悪いことをしながらいいことをしてるものなんだよ」が浮かんでいました。でもそのことも、きっとこの子は知っている。それを体験を通して確たるものにしているのでしょう。何も言わなくてもいいはず。私の説教くさい言葉など、この場面では刺身のつまほどの威力もありますまい。

 アイガモは肉の塊となり、センターの厨房に行きました。そこで内臓を取り出します。

「これが心臓、これが食道、これは肝臓、これは精巣・・・・砂肝はこれ」

内臓は夜、塩コショウで味付けして焼いて食べました。どれもおいしかったです。一羽の心臓、砂肝など小さいもので、とても14人全員が食べられるものではないですから、食べてみたい子だけが食べました。

肉は、次の日まで冷蔵庫で寝かして、それから食べることにしました。

・・・食べられる子も、食べられない子もいるでしょうね。

でも。私は食べたいと思います。正直、複雑な気持ちはします。でも、食や命に対して真摯な気持ちが呼び起こされることは事実。それを共有できるといいのですが。

それと、鳥をさばいて食べる技術は、決してないといけないものではありません。現代日本では堂々と避けて通れるものでしょう。でも、私は自ら求めてその技術を自分のものにしました。それが「生きる力」のひとつだと思って。いい気持ちがする仕事ではなくても、でも、それができるということ。それが大事なような気がして。

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コメント

あいがもの羽をむしる時はお湯の中でやるととれやすかったと思いますが。どうでしょう?

投稿: きんぎょ | 2006年3月18日 (土) 22時13分

お湯を使ったこともあるけど、別に使わなくても大丈夫。効率の悪さはあまり感じなかった。まわりがびちゃびちゃにならないだけマシとも思った。くりも同感だったよ。

投稿: くずてつ | 2006年3月19日 (日) 07時24分

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