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2006年3月29日 (水)

僕が通年合宿の仕事をしているわけ⑩最終回

 さて、長いことお付き合いしていただきましたが、これでとりあえず最終回。では。

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 山村留学は、過疎対策事業としてスタートした。しかし始めてみると、これは教育事業なんだと多くの人が気づく。なぜならそこに生活そのものがあり、その生活から体験を通してヒトとしての学びを深めているからだ。生活は大家族的なものであり、また同世代が群れを成す集団でもある。周囲は自然に囲まれ、自然から恵みを得るための森や畑がある。長い間、われわれ日本人はそういった環境で過ごしてきた。それを再現し、そこでのこどもの育ちに大きな可能性を見るのが「山村留学」なのだ。

 一時、山村留学といえば「不登校のこどもたちのアレ?」とか「気の毒なこどもたちがくるアレでしょ?」みたいな言説が多くて本当に悩まされたことがある。いや、そうしたこどもたちを対象とした山村留学を悪いとはいわないし、不要ともいわない。むしろニーズはあるかもしれない。しかし私はそうした限定的な対象者にしぼる事業ではないと思っている。山村留学は、いわゆる「普通」の子どもたちにもっと体験してほしい。

 いや、もっというと、だ。

 学力低下が話題になっているが、学力の向上が普通に見られる山村留学だ。体力の向上はいうまでもない。自慢じゃないが、センターの子でマラソン大会上位を独占する年だってある。3年間で「完走目標」だった子が「優勝」にまで踊り出たことだってある。共同生活におけるモラルへの意識、あるいはモラルの向上も見られる。一年間に及ぶ自然豊かな環境における集団宿泊体験であるからこそ、知力、体力、道徳力が向上している事実は、まだまだひ弱なものではあるものの、十分信用にたる実績だと思う。山村留学の可能性は、まだまだ現状のようなものにとどまるとは思わない。

 また、山村留学があるところには、地域(ムラ・コミュニティ)があり、家庭(センター・里親)がある。山村留学にかかわるすべての人たちの地域へのまなざし、家庭へのまなざしが深くなり、認識を新たにすることもあろう。たとえば、山村留学にこどもを出す家庭は寂しさと引き換えに家庭のなんたるかを改めて知る機会を得るだろう。それは現在、人知れず潜在的なカリキュラムのようなカタチで進行しているが、これは混在化してプログラム化するといいとも考える。

 もちろん山村留学だけが理想というわけではない。親子が家庭の中で肩寄せあって暮らすことに異存はない。いいことだと思う。しかし山村留学を通して見えてきたものは、そうした家庭での子育てにも一石を投じるはずだ。

 山村留学のたくさんの可能性。それが知りたい、見たい、やってみたい。

 これが、そうだな。僕がこの仕事を続けてきた理由、かな。

 とりあえずこのテーマでの作文は今年度でおしまい。後はブログでいろんなことを書いていくので、もしよければ見てください。たとえば「山村留学の指導者の家庭の受難」とか(笑)

(おしまい)

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