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2006年3月28日 (火)

僕が通年合宿の仕事をしているわけ⑨

昨日の続きです。

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 それから、もう十二年。塩沢所長は退職され、佐々木所長が就任された。

 通年合宿の園生も、初年度の途中から増員を続け、今ではコンスタントに十四名を集めることができるようになった。たくさんのこどもと出会い、別れてきた。たくさんのスタッフとも出会い、別れてきた。

浪合村は平成の市町村合併の大波にのり、阿智村浪合となった。

 いろんなことがあった。どれもこれも、その時の所長さんと、それからスタッフのみんなと一致団結して乗り越えてきた。それははいつか何らかのカタチで文章にしてきたいと思ってるが、ともあれ開設当初はまだ二十代だった僕も、もうあと何年かで四十歳。不惑を迎える。

 「自分のこどもでも出したくなるような山村留学所をつくる」

これが僕の目標だった。

 幸い、うちのこどもたちはセンターが大好きである。それどころか、「将来は山村留学の相談員になりたい」と兄弟が口をそろえて言う。そこから考えると、私の目標へはヨチヨチ歩きながら着実に近づいているようではある。ほんとかな。

 今まで、つらつらと来し方をふりかえりつつ、この仕事にたどり着いたいきさつを書いてきた。しかしそれは経緯。経緯は理由の一部であってもすべてではない。

 僕が山村留学を仕事にしている理由。

 それは、オルタナティヴな教育の可能性を追うため。それはトータルバランスのとれた子育て方法を模索するため。

 学校はなくなる、と、私は学生時代にあちこち吹聴して歩いていた。それは、言葉は悪いが、つまりは「教育の学校偏重は改められますよ」、という意味だった。実際、その通りに推移していると思う。しかし私の予測とは違うカタチでだが。

 学校は週五日制となり、学校にこどもが拘束される時間は減った。これは明治の学制発布以来実に衝撃的な出来事だ。それに加え、教育内容の精選で学習指導要領が相次いで改変され、教育内容も減った。部活も地域スポーツクラブなどにとってかわられるようになってきた。量、質とも、学校は荷を降ろした。

 しかし、その一方で、こどものいる場所は減少の一途だ。こどもが育つ場所に至ってはさらに厳しい状況といえる。家庭も地域もその教育力を低下させっぱなしだし、ついぞ母親が我が子を殺してしまう事例も散見するようになってしまった。いわずもがなのことだが、食料難の時代における「間引き」とは訳が違う。地域が瓦解し、家庭が崩壊し、母親業までもが再生産されなくなったが故の悲しい事件だ。

 学校はその荷を次々降ろし始めたのに、でもその荷をかわりに持ち上げるところがない。学校の荷物は減ったものの他の荷物が野ざらしのままなら、相対的に学校偏重である実態は変わっていない。これではこどもが育つわけがない。

 学校はもっとシンプルに、学習トレーニングをするところ、として特化されていくべきだと思う。しかし学校以外の教育力が機能していないと、本来学校の領分でない事柄に関してまで学校がしなければならなくなる。それがたとえば、平成における総合的学習の時間だ、というのは言いすぎか。

つづく

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