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2006年3月27日 (月)

僕が山村留学の仕事をしているわけ⑧~ラストシリーズⅰ~

 えー。別に日々の様子を書くことのわずらわしさから逃れようとしているわけではありませんが・・・。「僕サン」シリーズ(←自分で略称つくるのも恥ずかしいですネ)最終章を今日から3日間アップしていきます。前回の続きです。

・・・・・・ここから・・・・・・

 僕は幾度も、浪合村役場に当時の上司と打ち合わせに行った。その席上で、「吉田くんを、山村留学(通年合宿)の指導者に、ぜひ」という言葉を、幾度も村担当者(当時の教育長さん)から聞かされた。上司はそれをやんわりとかわしながら、通年センター設立に向けてのあれこれを進めた。もちろん僕もだ。

 ただ、僕はこの仕事をやることになるだろうな、と腹をくくっていた。財団の経営も厳しい状態が続いている。

 浪合村に私が行くことで、人件費はだいぶ助かるはずだ。事業を展開していく上で僕という戦力が減ることは痛手に違いないが、しかし事業ができなくなるほどじゃない。僕なんかリストラしちゃった方が、財団がこの急場を生き延びる可能性は高くなる。

 他にも理由はある。財団がメインに使用しているキャンプ場は、浪合村にある。そればかりか、建設中の通年センターのすぐ下だ。年間を通しての管理がなかなかできないところが課題だったキャンプ場だが、僕が通年合宿に赴任すれば、その問題も解決への道筋がつこうというものだ。

 僕が「浪合に行きます」と言ったか、上司が言い出したか、実ははっきりと覚えていない。しかし、それは熟した実が自然に落ちるように、すんなり決まった。

 また上司も通年合宿設立後の運営に参画することになった。業務インストラクターという位置づけである。週のうち1回宿直をしながらスーパーバイズを僕たちに対して行い、そのことを通して通年合宿(山村留学)の決定版をつくろう、ということである。

 つまり財団あげての応援体制を敷いた、ということになる。

 僕は「出向」ということで浪合通年合宿センターの職員となった。給料は、財団から半分、センターから半分ということになった。

 こどもの募集は、当初は教育委員会が行っていたが、直前には財団で行うようになった。キャンプ参加者に呼びかけ、希望を募るというやり方だ。しかしいかんせん、急だった。組織はできたてほやほや、施設にいたってはまだできあがってもいないのだ。実績は当然のごとくゼロ。広報に魅力となる点はない。

 しかしそれだと参加者が集まるはずもないので、参加費はなるべく安く抑えることを心がけた。これは以後長きにわたって奏功する。参加費に関し、高いところは当センターの倍以上(十万円)というところも当時あった。いくらか参加者はいたようだが、しかし長くは続かなかった。高額の参加費がネックになり、参加者の確保が困難になったからであろう。純民間は参加費収入がすべてなので、他に収入があがる部門を持たないと山村留学経営は難しくなる。

 もとい。ドタバタしながらではあったが、当時の塩沢和光教育長の情熱は猛烈なものがあり、平成六年二月に浪合通年合宿センターの開所式が行われた。施設はまだ完成していない。年度内に完成する見込みもなかった。開所式はトンキラ農園上にある「おいで家」で行われた。村長さん以下、助役さん、収入役さん、各課長さん、議員のみなさん、教育委員のみなさん、校長先生、教頭先生。あの小さな建物に、たくさんの人が集まってくれた。そして、大きな拍手で迎えてくれた。

「よろしく頼むな」

今でも、期待いっぱいの村の皆さんの顔を思い出すことができる。僕は正直、意気に感じてしまうかわいいところがあったので、本当に感激してしまった。

 すでにその頃に参加者を四人獲得していた。四人全員女子である。スタッフは私ともうひとり、きんぎょが「一学期の間だけなら」という条件で手伝ってくれることが決まっていた。この二名に業務インストラクターとして財団理事長。全三人だ。所長はS氏が村教育長兼務でつとめてくださることになった。

(続く)

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