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2006年3月31日 (金)

佐藤寿人という男

 実に、しぶといやつだ。そして抜群の決定力。

 先のオリンピックチームのFW争いでは田中達也の後塵を拝したが、田中の怪我もあり、A代表に名を連ね、その上ゴールも昨日のものを含め3つ重ねている。

 おととしまではJ2ベガルタ仙台に所属していた。私は2度、西京極で彼のプレイを見ている。ひとつは2004年の秋、第43節のゲームだ。試合はサンガが2-1でモノにしたのだが、相手の1点は寿人があげたものだった。ふたつめは先日の第4節、寿人がJ1のサンフレッチェ広島に移籍して2年目のシーズン、サンガがJ1にあがったからこそ見ることができた対決だったが、スコアは2-2の同点。相手の2点はともに寿人(涙)。それより何より、2004年J2第12節で起こった「事件」は忘れがたい。寿人が、サンガのGK西村がゴールキックをするために置いたボールを背後から奪い取り、まんまとゴールを陥れた「事件」。私はあのプレイで、その年のサンガのJ1昇格に黄信号が灯ったと思っている。

 だから、佐藤寿人、という名前を見ると、条件反射のごとく、怨念が沸き起こる。

 しかし、日本代表の寿人を見ると、松井大輔ほどではないにしろ、がんばれと声援を送ろうかという気になってしまう。ただ、条件反射による怨念は残っているので複雑な気分である。

 昨日、玉田のかわりに投入された寿人を見て、「がんばれよコンチクショー」。

 左からのクロスにニアで小躍りするようにしてゴールを決めた寿人を見て、「おおおさすがだバカヤロー」

 実際寿人はゴール前の競り合いに強い。小さいくせに強い。早くて、ずるくて、そして早いんだ。同じタイプの田中達也とはここらへんが違う。田中達也は早くて、早くて、そして早いんだ。達也が剣客だとすると、寿人は忍者だ。達也が鞍馬天狗なら、寿人は飾り職人秀だ。達也がいいやつだとすれば、寿人はやなやつだ。(実際はどうかは知りません。怨念も含まれています。はい。ごめんなさい)

 だが、頼りになる男だ。敵にまわせばやなやつだが、味方にいれば頼りになる。日本代表ってそんな連中ばかりだ。京都サンガの選手も、ぜひぜひ、次のワールドカップのときには代表チームにその名を連ねてくれ。たくさんはいらないから(笑)

 

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2006年3月30日 (木)

おジャ魔女ドレミ

 娘が見ています。はい、ビデオです。

おジャ魔女ドレミ・ないしょ、ってシリーズです。私はおジャ魔女ドレミ、好きです。とりわけおんぷちゃんがまだいい子になりきれていない頃のシリーズが好きです。

 脚本が秀逸な話が結構ある。台詞のノリがいい。どんなことがあっても前向きな姿勢がいい。

「ノートのきれはしちぎってナイショのお手紙まわしちゃお」(←たぶんこんな感じだったよね、次回予告のときのキメ台詞)

って提案には乗れませんし賛成できませんが、でも気持ちはわかります。私、実は魔女もの好きでした。ハイ、こどもの頃から。

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2006年3月29日 (水)

僕が通年合宿の仕事をしているわけ⑩最終回

 さて、長いことお付き合いしていただきましたが、これでとりあえず最終回。では。

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 山村留学は、過疎対策事業としてスタートした。しかし始めてみると、これは教育事業なんだと多くの人が気づく。なぜならそこに生活そのものがあり、その生活から体験を通してヒトとしての学びを深めているからだ。生活は大家族的なものであり、また同世代が群れを成す集団でもある。周囲は自然に囲まれ、自然から恵みを得るための森や畑がある。長い間、われわれ日本人はそういった環境で過ごしてきた。それを再現し、そこでのこどもの育ちに大きな可能性を見るのが「山村留学」なのだ。

 一時、山村留学といえば「不登校のこどもたちのアレ?」とか「気の毒なこどもたちがくるアレでしょ?」みたいな言説が多くて本当に悩まされたことがある。いや、そうしたこどもたちを対象とした山村留学を悪いとはいわないし、不要ともいわない。むしろニーズはあるかもしれない。しかし私はそうした限定的な対象者にしぼる事業ではないと思っている。山村留学は、いわゆる「普通」の子どもたちにもっと体験してほしい。

 いや、もっというと、だ。

 学力低下が話題になっているが、学力の向上が普通に見られる山村留学だ。体力の向上はいうまでもない。自慢じゃないが、センターの子でマラソン大会上位を独占する年だってある。3年間で「完走目標」だった子が「優勝」にまで踊り出たことだってある。共同生活におけるモラルへの意識、あるいはモラルの向上も見られる。一年間に及ぶ自然豊かな環境における集団宿泊体験であるからこそ、知力、体力、道徳力が向上している事実は、まだまだひ弱なものではあるものの、十分信用にたる実績だと思う。山村留学の可能性は、まだまだ現状のようなものにとどまるとは思わない。

 また、山村留学があるところには、地域(ムラ・コミュニティ)があり、家庭(センター・里親)がある。山村留学にかかわるすべての人たちの地域へのまなざし、家庭へのまなざしが深くなり、認識を新たにすることもあろう。たとえば、山村留学にこどもを出す家庭は寂しさと引き換えに家庭のなんたるかを改めて知る機会を得るだろう。それは現在、人知れず潜在的なカリキュラムのようなカタチで進行しているが、これは混在化してプログラム化するといいとも考える。

 もちろん山村留学だけが理想というわけではない。親子が家庭の中で肩寄せあって暮らすことに異存はない。いいことだと思う。しかし山村留学を通して見えてきたものは、そうした家庭での子育てにも一石を投じるはずだ。

 山村留学のたくさんの可能性。それが知りたい、見たい、やってみたい。

 これが、そうだな。僕がこの仕事を続けてきた理由、かな。

 とりあえずこのテーマでの作文は今年度でおしまい。後はブログでいろんなことを書いていくので、もしよければ見てください。たとえば「山村留学の指導者の家庭の受難」とか(笑)

(おしまい)

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2006年3月28日 (火)

僕が通年合宿の仕事をしているわけ⑨

昨日の続きです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 それから、もう十二年。塩沢所長は退職され、佐々木所長が就任された。

 通年合宿の園生も、初年度の途中から増員を続け、今ではコンスタントに十四名を集めることができるようになった。たくさんのこどもと出会い、別れてきた。たくさんのスタッフとも出会い、別れてきた。

浪合村は平成の市町村合併の大波にのり、阿智村浪合となった。

 いろんなことがあった。どれもこれも、その時の所長さんと、それからスタッフのみんなと一致団結して乗り越えてきた。それははいつか何らかのカタチで文章にしてきたいと思ってるが、ともあれ開設当初はまだ二十代だった僕も、もうあと何年かで四十歳。不惑を迎える。

 「自分のこどもでも出したくなるような山村留学所をつくる」

これが僕の目標だった。

 幸い、うちのこどもたちはセンターが大好きである。それどころか、「将来は山村留学の相談員になりたい」と兄弟が口をそろえて言う。そこから考えると、私の目標へはヨチヨチ歩きながら着実に近づいているようではある。ほんとかな。

 今まで、つらつらと来し方をふりかえりつつ、この仕事にたどり着いたいきさつを書いてきた。しかしそれは経緯。経緯は理由の一部であってもすべてではない。

 僕が山村留学を仕事にしている理由。

 それは、オルタナティヴな教育の可能性を追うため。それはトータルバランスのとれた子育て方法を模索するため。

 学校はなくなる、と、私は学生時代にあちこち吹聴して歩いていた。それは、言葉は悪いが、つまりは「教育の学校偏重は改められますよ」、という意味だった。実際、その通りに推移していると思う。しかし私の予測とは違うカタチでだが。

 学校は週五日制となり、学校にこどもが拘束される時間は減った。これは明治の学制発布以来実に衝撃的な出来事だ。それに加え、教育内容の精選で学習指導要領が相次いで改変され、教育内容も減った。部活も地域スポーツクラブなどにとってかわられるようになってきた。量、質とも、学校は荷を降ろした。

 しかし、その一方で、こどものいる場所は減少の一途だ。こどもが育つ場所に至ってはさらに厳しい状況といえる。家庭も地域もその教育力を低下させっぱなしだし、ついぞ母親が我が子を殺してしまう事例も散見するようになってしまった。いわずもがなのことだが、食料難の時代における「間引き」とは訳が違う。地域が瓦解し、家庭が崩壊し、母親業までもが再生産されなくなったが故の悲しい事件だ。

 学校はその荷を次々降ろし始めたのに、でもその荷をかわりに持ち上げるところがない。学校の荷物は減ったものの他の荷物が野ざらしのままなら、相対的に学校偏重である実態は変わっていない。これではこどもが育つわけがない。

 学校はもっとシンプルに、学習トレーニングをするところ、として特化されていくべきだと思う。しかし学校以外の教育力が機能していないと、本来学校の領分でない事柄に関してまで学校がしなければならなくなる。それがたとえば、平成における総合的学習の時間だ、というのは言いすぎか。

つづく

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2006年3月27日 (月)

僕が山村留学の仕事をしているわけ⑧~ラストシリーズⅰ~

 えー。別に日々の様子を書くことのわずらわしさから逃れようとしているわけではありませんが・・・。「僕サン」シリーズ(←自分で略称つくるのも恥ずかしいですネ)最終章を今日から3日間アップしていきます。前回の続きです。

・・・・・・ここから・・・・・・

 僕は幾度も、浪合村役場に当時の上司と打ち合わせに行った。その席上で、「吉田くんを、山村留学(通年合宿)の指導者に、ぜひ」という言葉を、幾度も村担当者(当時の教育長さん)から聞かされた。上司はそれをやんわりとかわしながら、通年センター設立に向けてのあれこれを進めた。もちろん僕もだ。

 ただ、僕はこの仕事をやることになるだろうな、と腹をくくっていた。財団の経営も厳しい状態が続いている。

 浪合村に私が行くことで、人件費はだいぶ助かるはずだ。事業を展開していく上で僕という戦力が減ることは痛手に違いないが、しかし事業ができなくなるほどじゃない。僕なんかリストラしちゃった方が、財団がこの急場を生き延びる可能性は高くなる。

 他にも理由はある。財団がメインに使用しているキャンプ場は、浪合村にある。そればかりか、建設中の通年センターのすぐ下だ。年間を通しての管理がなかなかできないところが課題だったキャンプ場だが、僕が通年合宿に赴任すれば、その問題も解決への道筋がつこうというものだ。

 僕が「浪合に行きます」と言ったか、上司が言い出したか、実ははっきりと覚えていない。しかし、それは熟した実が自然に落ちるように、すんなり決まった。

 また上司も通年合宿設立後の運営に参画することになった。業務インストラクターという位置づけである。週のうち1回宿直をしながらスーパーバイズを僕たちに対して行い、そのことを通して通年合宿(山村留学)の決定版をつくろう、ということである。

 つまり財団あげての応援体制を敷いた、ということになる。

 僕は「出向」ということで浪合通年合宿センターの職員となった。給料は、財団から半分、センターから半分ということになった。

 こどもの募集は、当初は教育委員会が行っていたが、直前には財団で行うようになった。キャンプ参加者に呼びかけ、希望を募るというやり方だ。しかしいかんせん、急だった。組織はできたてほやほや、施設にいたってはまだできあがってもいないのだ。実績は当然のごとくゼロ。広報に魅力となる点はない。

 しかしそれだと参加者が集まるはずもないので、参加費はなるべく安く抑えることを心がけた。これは以後長きにわたって奏功する。参加費に関し、高いところは当センターの倍以上(十万円)というところも当時あった。いくらか参加者はいたようだが、しかし長くは続かなかった。高額の参加費がネックになり、参加者の確保が困難になったからであろう。純民間は参加費収入がすべてなので、他に収入があがる部門を持たないと山村留学経営は難しくなる。

 もとい。ドタバタしながらではあったが、当時の塩沢和光教育長の情熱は猛烈なものがあり、平成六年二月に浪合通年合宿センターの開所式が行われた。施設はまだ完成していない。年度内に完成する見込みもなかった。開所式はトンキラ農園上にある「おいで家」で行われた。村長さん以下、助役さん、収入役さん、各課長さん、議員のみなさん、教育委員のみなさん、校長先生、教頭先生。あの小さな建物に、たくさんの人が集まってくれた。そして、大きな拍手で迎えてくれた。

「よろしく頼むな」

今でも、期待いっぱいの村の皆さんの顔を思い出すことができる。僕は正直、意気に感じてしまうかわいいところがあったので、本当に感激してしまった。

 すでにその頃に参加者を四人獲得していた。四人全員女子である。スタッフは私ともうひとり、きんぎょが「一学期の間だけなら」という条件で手伝ってくれることが決まっていた。この二名に業務インストラクターとして財団理事長。全三人だ。所長はS氏が村教育長兼務でつとめてくださることになった。

(続く)

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2006年3月26日 (日)

キャッチボール~2

前回の続きにして完結です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 しかし私は、そのおかげであなたのお母さんと出会うことができたし、あなたに出会うこともできた。
 あなたと浪合の道端や空き地でキャッチボールをしてるうち、うれしさで胸がいっぱいになったことは一度や二度ではない。

 私は、親父が会社で仕事している姿を見たことがなかった。だからというわけではないが、私はあなたに、私が仕事をしている姿をたくさん見せようと心に決めてきた。あなたが本当に小さいときから、許される限り、私はあなたを連れまわしていた。
 あなたはそのことをどう感じてきたのだろうか。私は少し心配もしていた。小学校に上がってからは、夏休みも冬休みも休日もない私の仕事に、だいぶ辟易するようになってきたのではないかと。あなたが生まれてしばらくは別の仕事をしていたお母さんだったが、やがてお母さんも私と同じ仕事をするようになった。我家のあり様はまったくセンター次第ということになり、そのことでずいぶんつまらない思いもさせたのかもしれない。
 だから、感謝している。あなたはそのことを、一度も、ほんの一度もいやだとかつらいとか言ったことがないのだから。急に休日がなくなってしまった時でも、だまって涙を浮かべることはあっても、だだをこねることは金輪際なかった。

 そんなあなたが、浪合村の閉村式のとき、そう、私とお母さんが出会った村がその歴史を閉じる大事な式のとき、児童代表で作文を読んでくれた。私はその文章を聞きながら、不覚にも涙を流してしまった。
「お父さんは、浪合通年合宿センターの仕事をしています」
という言葉から始まるいくつかの文章は、連れまわしてきたあなたから見た私たちの仕事のことが、端的に、そしてたいそう肯定的に表現されていた。わが息子からそんな言葉を聞かせてもらうなど、想像もしていなかった。
 私のしていることは本当にささやかなことだけど、そのことを通して「自然が好きになった」「浪合が好きになった」と言ってくれるあなたのことを本当にありがたく思った。言葉にならない言葉で、私はありがとう、と言った。目頭が熱くなって、涙がぽたぽたこぼれた。
 その日の夜、将来何になりたい?と私がたずねたとき、あなたが弟と声を揃えて
「山村留学の相談員」
と言ってくれたこともうれしかった。ふたりとも小さな決意が目にこもっていた。これからどうなるかわからない。だいたい親を泣かせた遺伝子をあなたたちも持っているのだから、当然一筋縄ではいくまい(お手柔らかにしてくれよ)。でも、一度でもそう言ってくれたことがうれしかった。あなたたちが眠ったあと、お母さんとしみじみ、今までのことをふりかえらせてもらったよ。

 親の私がしたことで、あなたが何かを感じ取り、息子のあなたがしたことで、私が何かを感じ取る。ボールがなくてもキャッチボールをしてたんだと思い至ったとき、私はまた、うれしくなった。
 小学校を卒業するあなたに、私はおめでとうよりありがとうをたくさん言いたい。

 最後に。6年生のみなさん、一緒に遊んでくれてありがとう。いろんな話をしてくれてありがとう。それから何より、T先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

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2006年3月25日 (土)

キャッチボール~1

 これは息子の卒業文集に寄稿した作文です。山村留学の指導者をしている父親、という切り口での文章です。山村留学をしている親は、わが子に対してどんなことを思っているのか、それが伝わればいいな、と思ってブログに掲載してみます。今日と、明日の2回の連載とします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 私は6年生だったころ、毎日野球に明け暮れていた。
 私が住んでいたあたりは、あなたも知ってる通り、嵯峨野と呼ばれる地域だ。北西の空の下には愛宕山が鎮座している。この山の麓を流れる川がやがて桂川と呼ばれるようになるのだが、この桂川の河川敷のグランドが、私たちのチームの練習場だった。
 内野手も外野手も経験したが、一番長く守備したのは、たぶんセンターだ。レフトだったかな。バッテリー以外はだいたいやった。
 でも、一番やりたかったのはピッチャーだった。キャッチボールのときなど、よく監督やコーチにアピールしたものだ。でもついにマウンドに立つことはなかった。

 こんなとりとめもないことを書き始めたのだが、私が今でも鮮明に覚えているのは、実は少年野球のあれこれより、親父と野原でキャッチボールをしたことである。この時ばかりは、私はエースだった。50球も立ったまま投げあうと、親父はよっこらしょと座ってくれた。ピッチャーは私だ。ふりかぶって、思い切りボールを投げ込む。
「ストライク」
親父の声が、やさしくあたりにひびく。
 親父は忙しい人だったけど、日曜日は必ず家にいた。(そのかわり、平日にその姿を見たことはない) 結構くたびれてたと思うのだが、キャッチボールに誘うのはたいてい親父だった。少年野球を本格的に始めると、だんだんこの至福の時間は少なくなってしまった。
 
 私は、あなたとキャッチボールがしたかった。キャッチボールをする幸せを、あなたにも知ってほしかったのだ。

 ところで、私があなたのお母さんと出会ったのは、私が大学4年のときだった。私はその頃、長野市に住んでいた。お母さんは松川町に住みながら、飯田の短大に通っていた。私とお母さんが出会った場所は、センターのすぐ下の、こども村である。当時はもちろん通年センターも遊楽館もなかった。
 私もお母さんも、こども村のキャンプの相談員をしていたのだ。お母さんは今と同じに、(よその)こどもたちには優しかったものだ。何かというとコウルサイことを言ってまわりに煙たがられた私とは違い、とても穏やかであたたかい感じがした。私にないものをたくさん持ってる人だと一目でわかった。      
 それは、今でも変わらない。お母さんの優しさに、幾度元気をもらったか知れない。
 私は、少し照れくさいことを言うが、そんなお母さんと出あった浪合で仕事をし、くらしをしていることが幸せだ。そして私たちのこども、つまりあたなたちが、その浪合の学校に通っていることも幸せだ思っている。
 
 あなたが生まれたときから、私はこの仕事をしている。
 私は学校の先生になろうと思って大学に進んだ。でも大学を卒業するころには、学校の先生になるより、自然体験活動の指導者になりたいと思うようになった。
 このことでは、実は私の母、つまりあなたのおばあちゃんとは、随分やりあったものだ。
「学校の先生になるというから大学に行かせてあげたのに。約束破りだ」
母の言い分はまったくその通りだ。このことを言われると、私はうなだれるしかない。

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2006年3月24日 (金)

離任される先生の送別会にて

 昨日、PTA主催で離任される先生方の送別会がありました。その席で、だいたい同じくらいの年齢の先生と盛り上がったのが、「ガンダム」の話(笑)

 そこから人生において大切な作品って何か、というような話になりました。

 そこで話題にのぼったのが「エヴァンゲリオン」と「鬼平犯科帳」。いえ、私が強引にそっちに持って行ったわけじゃありませんて(笑)

 エヴァでは、人類補完計画と思春期のこどもたちについてが話題になったし、鬼平では「粋」ということが話題になったように記憶しています。なかなか楽しかったですよ。オタクっぽい話でしたけど(笑) ただ、私はどうも人よりオタク度は高いようです。「あれって○○ですよねえ」なんて言っても「ゴメンナサイ、よくわかりません」と答えられること、結構多いのです。

 この「ゴメンナサイ」発言は、私にとってはオフサイド。相手をよく理解した上で、お互いが楽しめる話題を提供することが肝心なのに、私だけ突っ走ってちゃいけないよな、という意味でオフサイドなんです。でも、昨日に限らず、私はオフサイドが多い(笑) パウリーニョのこと、悪く言えません。って、これもある意味オタク発言?? オフサイドですか???

 

 

 

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2006年3月23日 (木)

WBC、そして野球は。

 WBCが日本の優勝で幕を閉じた。

 私は、この大会は開催することに意味があると思ったので、無事大会が行われたことに対して、とにかくよかったと思う。制度上、いろいろ不思議な点や不備な点はあったが、それはこの際いいのだ。清濁飲んで、ともかくやるんだ、ってところが肝心だったのだから。

 2次リーグのチームの配分はともかく、同じリーグの1,2位が決勝トーナメントで対戦するのは正直「へ?なんで?」って感じだったが、それはメジャーリーグや日本プロ野球のパ・リーグで行われているプレーオフ的発想で企画されたものだったのだろう、と好意的に解釈しよう。好意的好意的。しかし次回大会では修正を期待する。権威ある国際大会たるもの、そうあるべきだ。

 審判の誤審も話題になったが、ジャッジに間違いは起こりえる。人がジャッジしている以上、それは免れない。むしろそれをも含めて「野球」であるはずだし「スポーツ」である筈だ。いやこれは誤審を歓迎している発言ではない。誤審は必要悪だ、などと言うつもりもない。人生に事故があるようなものに、内野ゴロにイレギュラーバウンドがあるように、審判のジャッジに誤審がある、ということは自然状態における当たり前、であり真実なのだ。意図的な誤審やあからさまな能力不足による誤審は問題外であることは当然ながら言うを待たない。

 それにしてもだ。件の西岡のタッチアップは見事なものだった。彼の技術を知らない米国の捕手や審判が「離塁が早い」と判断するのも仕方ない。(好意的好意的) しかしいくら二塁塁審にジャッジの権利がないと言っても、一番近くにいた彼が米国の抗議の後も「セーフ」と言っていたのだから、主審はそれを尊重すべきではないのだろうか。ここは好意的な解釈はできない。

 米国とメキシコ戦でもメキシコの本塁打を二塁打とするミスジャッジが飛び出たようだが、それは映像を見ていないのでコメントはしない。

 そもそも、対戦しているチームの国から審判が出ていることも問題である。やはり第3国から審判を出すべきだ。この大会に出てくる国には、ウデのいい(目のいい?)審判の3人や4人、困らないはずだ。ここも次の大会までにはぜひ修正してもらいたい。

 さて。

 日本は韓国に1勝2敗。負け越した。一次リーグ、二次リーグとも敗れた。相手投手に押さえ込まれた。とりわけ二次リーグで韓国に負けたことは大きな痛手だった。これで決勝トーナメント進出は絶望かと思ったものだ。あのイチローも酒を飲んで大暴れしたそうな。なんてったって「野球人生でもっとも屈辱的な日」だったそうだからなあ。

 しかしメキシコが米国に勝ってくれたため、日本はびっくりのリーグ2位確保。決勝トーナメントで三度韓国と対戦、今度は相手投手陣をねじ伏せ、どうにか貫禄を示すことができた。しかし韓国は手ごわかった。粘る韓国を押さえ込んだのは上原だったし、振り切ったのは福留だった。まさに劇的な一発。日本国民溜飲のホームランだった。

 あのゲームで印象的だったのは、多村だ。福留がホームランを打つ前、多村は送りバントを2度失敗した挙句三振している。多村といえばハマのアーチストだぜ。あそこは送りバントしたい場面だったことは間違いないが、しかしバッターボックスは5番多村だ。「一発狙って来い」の方が「送りバント決めて来い」って言われるよりはるかにマシだったのではあるまいか。見ていてもぜんぜんバントが決まりそうな雰囲気はなかった。王監督は巨人監督時代、それはそれは慎重な采配で、場合によっては臆病ですらあり、よく厳しい批判を受けていたが、その慎重さがこの場面で出てきたなと思った。あそこはやっぱ、「自由に打て」でよかったと思うのだが。だがさすがは多村、ゲームの行方がほぼ決まった中でも、次の打席ではリベンジを忘れなかった。リードを更に広げる本塁打をスタンドに叩き込む。福留の一発も見事なものだったが、多村の一発は左中間の一番深いところにまで飛んでいった。まさにホームランアーチストの意地ともいえる打撃だった。たいしたもんだ。右の強打者、ベイスターズの多村。大きく育って欲しいものだ。

 福留の一発後の韓国投手の崩れ方は、まったくあからさまなものだった。ゲームを決定づける本塁打を福留に許した後、次の打者にデットボールを与えてしまい、それでようやく交代。福留に一発打たれた時点で交代するべきだったと私は思う。韓国の監督も当然そうすると思ったのだが、彼は次打者までひっぱり、余計なランナーをひとり出して傷口を広げてしまった。まあ日本としてはありがたいが、しかし韓国側としてはやってはいけない死球だった。ああいうことが起こるとバックの守備陣もいやな感じがするものだし、集中力も途切れがちになるものだ。ともあれこの一戦の勝利は気持ちよかった。ようやく韓国に勝てたか~とうれしかった。

 キューバとの決勝戦では、投手力の差がゲーム結果に出た形といっていいだろうか。日本は確かに10点取ったが、しかしそれはキューバ投手陣の自滅から得られた得点も相当含まれている。だからその得点に意味がない、なんて思わないが、得点のすべてを打線の打力だけで獲得したわけではない、ということは記憶しておこう。勘違いは未来設計を崩す元だ。

 しかし9回表、直前に1点差に追い詰められてからの日本の攻撃は見事だった。次々火達磨になってマウンドを降りてゆくキューバ投手陣を見て、気の毒にすら思った。野球の「流れ」というものの残酷さを感じた。思わぬ完勝で優勝を手にした日本。わが母国が世界一になったことは素直に喜びたい。

 その時、王は本当に世界の王になった。

 イチローは見事な牽引役としてびっくりするほどアグレッシブにチームを鼓舞し続けた。「向こう30年は日本には手を出せないと思わせるくらいの勝ち方をする」とは彼が3度目の韓国戦の前に発言した言葉だが、見事な言葉だと私は思う。ゴールイメージがはっきりしている。挑発的であることに間違いないが、相手のことは別に何も卑下していない。いいメッセージだと私は感心した。この言葉に代表されるように、気合十分で感情露出もいとわないイチローは新鮮だったし、とてもかっこいいと思った。

「このチームでメジャーを戦いたいと思った」

これは大会後のイチローの発言だが、この言葉を聴いたチームメイトは、きっとまたイチローにしびれただろう。彼は仲間を下目線で見てはいなかった。米国で孤高の戦いを繰り広げてきた男は、こんなにも仲間を愛することができる男だったのだ。

 一方。ヤンキースの松井は、そんなイチローの姿をどう思って見ていたのだろう。そしてイチローは松井のことをどう思っているのだろう。もし松井に対し、イチローが何か言うとしたら、それは多分

「今度はいっしょにやろうぜ」

という言葉であるに違いないと思うのだが。そしてその時松井には

「ぜひやりましょう!」

と言ってもらいたい。

 

 

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2006年3月22日 (水)

WBC日本優勝、久しぶりに西京極

 WBC、日本優勝!やー、キューバを下しての優勝は気分いいね。WBCについてやそこでの日本の戦いにに関してはまたどこかでしっかり書きたいと思います。

 ともかく、おめでとう!だし、ありがとう!!です。

 それと昨日は強行軍で西京極へ行ってきました。午後1時半に出て夜中の1時半に帰ってきました。2時間の試合のために、8時間の往復・・・。でも、4月からはmも中学生になるし、そうそう行けなくなりそうだしなあ。mも「行きたい」と言ったし。

 久しぶPhotoりの西京極は・・・寒かったです。この時期のナイターはきついよな。

 結果は2-2もドロー。観戦記はまた書きますとも。ただ・・・前節の磐田戦のもまだ書けていませんが(涙)

 それにしても5556人しか入場者がいなかったのは寂しいなあ。あと、Sバックで観戦したのですが、売店のスペースが増え、飲食物のメニューが格段に増えいていたのはうれしかったです。ゲーム後は全部100円で叩き売っていました(笑)

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2006年3月21日 (火)

それにしても春は

 春休みは、実は忙しい。山村留学の仕事も、入れ替えの時期なので多忙多忙。そこへ持ってきて村の会議、自治会の会議、部落の会議、PTAの行事、歓送迎会などもうイベント目白押し(涙) 実績報告書の提出期限が今月末なのがいくつかあって、それに加えてこどももいろいろやりたいことがある様子。こどものことで言えば、勉強も見てやりたい。家の内外の掃除もやりたいぞ。畑のことも気になりだしたし。

 スケジュール調整がホント厳しい。昨日も寝る間を惜しんで報告書づくりに励みました。そんな中、道端を見るとフキノトウが。Rimg0011

「そうか、おまえもがんばってんのか」

そこにしゃがんで、思わずフキノトウに声をかけた私でした。

 

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2006年3月20日 (月)

強化合宿

 園生が帰った後、年度末恒例の活動で「強化合宿」というものがあります。スタッフの研修合宿です。例年、滋賀県にあるセミナーハウス(実家の別荘)を利用して行っているのですが、今年はセンターで行いました。なぜって、移動時間が長いのが最大のネック。往復8時間程度かかりますので、それを合理化するのが狙いです。毎年2泊3日の日程で行ってきましたが、往復の8時間を削除すれば、1泊2日で充分同程度の内容のものができる。それに滋賀県には昨年全員行っているし。

 そんなわけで変わり映えしない景色を見ながら(笑)、今年の強化合宿は行われました。強化合宿は、親睦合宿ではないので、ハッキリ行ってハードです。一部親睦プログラムもありますが、一部です。

 今年のプログラムは以下。

(19日)

  • 9時・・・オリエンテーション
  • 10時・・・<ワーク1>17年度事業の反省会(通年合宿係、短期自然体験事業係、総務係にわかれて)
  • 11時30分・・・各係からの報告(プレゼンテーション)
  • 13時・・・昼食(昼休み)
  • 14時・・・<ワーク2>18年度年間計画策定1(上記各係りにわかれて)
  • 17時・・・<ワーク3>18年度年間計画策定2(合同で調整)
  • 20時・・・懇親夕食会(以下、親睦タイム)

(20日)

  • 7時・・・起床、朝作り、朝食
  • 8時30分・・・<研修1>相談員相互評価(KJ法による評価、評価を受けての感想発表、質疑応答)
  • 11時30分・・・<研修2>「お母さん相談員に聞け!」(「叱る」「自信」「意思疎通」をキーワードに、子育て中のお母さん相談員の思いや考えを聞き、意見交換などすることを通して自己を相対化してみる)
  • 12時30分・・・昼食(昼休み)
  • 14時・・・<ワーク4>丸太運び(観察林の間伐材を運ぶ。土手の下にある丸太を運び上げるのですが、丸太の直径30~60センチ。50本程度を人力やクルマでの牽引などで引き上げる)
  • 15時30分・・・<ワーク5、研修3>丸太運びに必要なロープワーク
  • 17時・・・<ワーク6>春休みにしておくべき仕事をあげよう!
  • 18時・・・<ワーク7>春休みスケジュールをつくろう!
  • 全日程終了・・・19時

 とまあ、こんな感じです。ワークは全て研修を兼ねています。OJTの考え方ですね。若いスタッフが多いですから。私もね(笑)

 相談員相互評価は勇気がいりますよね。評価する側もされる側も。でもここはなあなあじゃいけないと思うからやるんです。もっとも、「修正すべき点」を相手に伝えるときは提案型の意見でやるように、という約束事はしましたがね。だいぶいろんな意見が出ましたよ。自分で思ってることを言われたりすると、良い面のときは物凄くうれしいし、悪い面の時は相当グサリときますが、それがいい勉強になると信じます。

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2006年3月19日 (日)

ヤマハスタジアムへ行ってきました

 昨日はひさびさの休日。修園式までなかなか休日がなかったので、本当に久しぶりのお休みです。

 この日はmとsiと私で磐田市のヤマハスタジアムまで行ってきました。初めてのサッカー専用球技場でのサッカー観戦は、とても楽しみでした。

 うちから4時間ほどかかって、ヤマハスタジアムに到着。途中道に迷ったりしましたが、キックオフ30分前にスタジアムに入ることができたのはよかったです。

Fk サッカー専用スタジアム・・・いいですね!ピッチが近い!サンガの西京極陸上競技場兼球技場は「糞スタ」、なんて言われていますが、糞であるかどうかはともかく、専用球技場が欲しいという気持ちは、ここのスタジアムを見て一層強くなりました。・・・もっとも西京極は私の実家から近いので、そこから遠くにサンガのスタジアムが出来てしまうのはちょっと寂しいのですが。

 ゲームの方は1-1のドロー。3節目にしてようやくサンガは今シーズン初の勝ち点を獲得できたわけですが、試合の内容はまた別のところで

 雨の中の観戦でしたが、ロスタイムにサンガの同点弾が飛び出したこともあり、大満足の磐田遠征でした。

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2006年3月18日 (土)

昨日は修園式

 昨日は浪合通年合宿センターの修園式とお別れ会があった。

 修園式は午後4時30分から。遅い時間にあるのは、この日に学校の卒業式、謝恩会があるから。そうするとどうしてもこの時間になる。

 来賓としてお招きしたのは、新村長、議長、副議長、他議員4名(うち2名は浪合地区の議員)、教育委員長、参与、学校長、小中教頭、PTA会長、浪合自治会長、荒谷部落長、地主、浪合支所長、駐在さん、他後援団体の長のみなさんです。とりわけ今回は合併して最初の式になるので、村長以下議長、副議長、議員2名、教育委員長、それから浪合自治会長が新しい来賓者となる。この方々のうち、浪合自治会長さんは旧浪合村では長年議員を勤められてきた方なのでセンターのことはよくご存知だが、それ以外の方はセンターの実態をご存知ではいらっしゃない。視察に見えたことはあっても、こどもたちの顔、声、様子を見られることは今回が初めてなのである。

 だから、幾点か工夫をした。

 工夫その1。通年合宿活動報告につき、映像を流した。今までは配布資料に書いただけだった。浪合村のときはそれでよかった。なぜってみんな、知ってらっしゃるから。小さい村だったし、広報にしても風聞にしてもとにかく情報伝達は早かった。ところが合併するとそういうわけにはいかない。なにしろ人口にして一気に8倍ほどになったのだから。映像は歌にあわせてスライドショーの形式で流れ、四季の活動と園生の表情を大きな画面に映した。

 工夫その2は、引継ぎ式。これはセンターのテーマソング「ALL FOR ONE」を歌い、間奏の部分で台詞のやりとりをする形式で行うのだが、今年は歌い方を改めた。歌の構成は「(1番)Aメロ、Bメロ、サビ、間奏、(2番)Aメロ、Bメロ、サビ、Cメロ、サビ」となっていて、
Aメロの部分は2人で歌い、Bメロとサビは3部合唱、Cメロはソロにしていたのだが、今年はA,Bメロともひとりづつで交代で歌う形式にしたのだ。14人がそれぞれひとりで歌う箇所があり、それがリレーのようにつながってゆく。サビは3部合唱。Bメロの合唱も美しく、これを独唱に変更するのは勇気が必要だったが、しかし個を生かすことで聞き応えは増すだろうし、サビの3部合唱が直前まで独唱であることでかえって効果が上がると判断、踏み切った。

 踏み切ったはいいが、しかし独唱で全員がミスなく心を込めて歌えるようになるには練習が必要だ。テーマソングは全員で合唱する機会はあったが、全員だとごまかしが効く。多少間違えてもはずれても、まわりがフォローしてくれる。しかし独唱だとそうはいかない。

 練習はした。まず、メロディーを覚えるために繰り返し全員で歌う。そして今回の形式を提案して賛同を貰い、ソロで歌うことに慣れるため、歌詞一行づつ交代で歌う。ついで自分が歌いたい箇所を考え、みんなで意見を出し合い、担当箇所を決める。Cメロ担当もここで決めた。それから3部合唱のパート決め。人前で歌うことになれるため、某温泉の駐車場で歌ったこともある。ギャラリーの視線がうれしかった(笑) 完璧とはいわないまでも、相当な仕上がりで当日を迎えることができたのは、そうした努力の賜物だった。

 歌の練習をしていて、鳥肌が立つくらいの感動を覚えたこともある。涙が流れてしまったこともある。こどもたちにばれないようにしていたつもりだが、ちゃんと見られてちょっと恥ずかしかった。

 歌を自分のものにした子どもたちは、伴奏を吹き込んだCDをも凌駕してしまった。気持ちの高ぶりが、サビの部分で歌のテンポを上げるのだ。私が指揮者でもそう棒をふる。しかし当日はこの伴奏CDを使わざるを得ず、ここのテンポを遵守することが最も難しい課題になってしまった。それでもその伴奏のテンポにも意味があり、「ゆっくりはっきり歌うことで、初めてこの曲を聴く人にも歌詞が心に届きやすくする」というその意味を確認して当日に臨んだ。

 修園式の工夫その3は来賓祝辞。これはいろいろ考えた末、新村長、浪合自治会長、学校長の各氏にお願いした。当日は新村長が都合により来ることができなかったので、参与(旧浪合村長)が変わって挨拶してくださった。来賓祝辞については、入園式ではさらにまた考えていきたい。

 

 修園式1時間前にリハーサルをし、4時半から式。祝辞やお祝いメールもたくさんいただき、式を盛り上げてくださった。ヒロ、ゆっちょう、それから他にもいただいたたくさんの方、どうもありがとうございました。 

 活動報告のスライドショーはいい出来だったし(ちゃづけ、ご苦労様)、園生代表挨拶も上手だった。しいちゃんよくやったね。練習時間の短いなか、あそこまで仕上げたのは努力家のあなたならではだ。たいしたもんだ。

 そして引継ぎ式の歌。懸案だったサビでのテンポ、1番のサビではちょっと早くなっちゃった。でもま、いいや。いいんだ。これは前向きな姿勢のあらわれ、歌に魂を込めた結果の出来事。その後の修正も効いてた。引継ぎの台詞も堂々とホールに声が響き渡っていた。Cメロを引き受けてくれたのはしまうま。彼女は飯伊アンサンブルコンテストでソロで優秀賞を獲得した本当の実力者。その力を遺憾なく発揮し、聴衆を見事に支配したばかりか全ての人の心を揺すぶってくれた。最後のサビは最高の調和と迫力。ありがとう。「一番大事な人のために歌う」(←本番前に与えた、私の最後のアドバイス)ことができたようだね。

 ・・・・式の後。

阿智からこられた招待客の方が言ってくださった言葉。

「ここのこどもたちがいいということは、みなさんがいいということだ」

「本当によかった。感動した」

 しかしせつない。これで、今年の14人でつくる活動は全て終了。もう二度と、このメンバーで活動をすることはない。また再会することはあっても、このチームは、今日でおしまい。これを12回繰り返してきた。このせつなさに慣れる事はない。

 それと、充実感。1年間、よくがんばったなあ。

 最後に、やっぱり感謝。ありがとう。みんなのおかげだ。

 

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2006年3月17日 (金)

何を差し置いても

 私の友人が、本を出版しました。

アユ百万匹がかえってきた」という本です。

今日は息子の卒業式で、それからセンターの修園式ですが、それをさておき、この慶事を祝い、そしてみなさんに紹介したいと思います。

もちろん、息子の卒業式は卒業式でお祝いしました。それから修園式は、ジツはこれからなんですが、一所懸命がんばります。

ともあれ。

ぜひご購入ださい。彼(NHKのディレクターで、自然関連の番組をきっちりつくってくれる男です。NHKにもいい人はたくさんいるんですよ!!)の著作であるってだけで、それがどんなものでも、私は推薦することができます。多摩川の奇跡を、知りましょう。

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2006年3月16日 (木)

さよなら、アイガモ

 昨日の話ですが、アイガモをしめました。センターで飼っているアイガモです。

 春から飼っています。田んぼで活躍してくれました。うちの田んぼはアイガモ農法でやってるんです。除草剤はいらないし虫は食べてくれるし水と土をかき混ぜてくれるし、いいことだらけです。雛から飼うのですが、みんなかわいがります。えさをやることもあるので、人の後ろをついてまわります。呼ぶと返事します。私も正直、かわいいです。

 2羽飼っていましたが、1羽は獣(きつねですかね)に食べられてしまいました。で、昨日、残った1羽をしめたわけです。

 これは思いつきでやってることではありません。食への意識を見直す、食と命をダイレクトに感じるという目的を持ったセンターの活動の一環で、雛を飼い出したときからしめて食べることは決まっていました。今年初めての活動でもありません。毎年のことです。

 今回は中1と中3の子がアイガモを捕らえ(小屋に入れるときもありますが、ふだん放し飼いです。食するための絶食も今回はしていませんでした)、中3の子が体を抑え、私が首に包丁をいれ、動脈を切りました。一回では動脈を切断することができず、二回刃を入れました。今までは一気に手斧などで首を落としていたのですが、それだと血液が十分出ないのだそうです。確かに今まで、「血ってこんなものしか出ないのか?」と疑問でした。今回は頚動脈を切ったので、心臓がしばらく動いている間に、その力で血液がずいぶん出ました。文字通り、ドバっと出ました。この場面は、小学生も何人か見ていました。

 かつて私は全員に「目をそむけるな」などと厳しいことを言っていましたが、今は「見ることができる人だけでいいよ」と言っています。やはり、かわいがってた生き物の命を奪う場面は、しのびないものです。相当の覚悟がいります。ここに来るまで、魚を解剖することすらしたことがない生活をしてきたこどもたちです。山村留学で相当いろいろやってきてはいるものの、やはりアイガモほど大きな動物の命を奪う作業は正直キツイと思います。だから、それを直視せよ、ということにこだわるのではなく、そのことが起こっている現場周辺にいてもらうことだけでも大きな体験になる、と私は思うようにしたのです。普段とのギャップが大きすぎる体験は、こちらが思うような効果を上げないばかりか逆効果になることもあるのです。

 しばらく羽や足を動かしていたアイガモですが、そのうち動きはなくなります。足を縛り、木にぶら下げます。それから羽をむしりとります。実はこの作業も結構たいへん。大きな羽はともかく、小さな羽まで全部とるのは相当時間がかかります。

 なので私は、ある程度とれたら包丁をつかって皮下脂肪ごと羽をそぎ落とすようにします。こうすると効率よく短時間でとれます。それでもとりきれないものは、バーナーで焼いてしまいます。

 この作業は私と中3、小5、小4の男の子と一緒にやりましたが、途中で小3と小4の女の子も見学に来ました。

 40分ほどで、アイガモは肉の塊になります。

「ここまでくると、もう『肉』だね」

中3の子が言います。

「かわいそう」

「でもいつも肉食べてるじゃん」

「そうだけど・・・」

小学生たちはこんな会話をしています。両方の台詞はそれぞれ真実です。私も

「人間は命をいただいて生きてるんだよ」

とか

「だから食べ物を大切にしましょうね」

とか、そんな説教じみた言葉を出せないでいます。そんなことは百も承知なんです、みんな。でもそのことを裏付ける体験がないんです。それを今してる。言葉はいらない、って感じです。

 中3の子がいいました。

「なんだかオレたち、いいことしてるんだか悪いことしてるんだかわからなくなった」

私はそのとき、

「そうだな」

と相槌を打ちました。

「生きるって、そういうことかもな」

そんな言葉が出掛かりましたが、それは飲み込みました。私の脳裏には、池波正太郎氏がよく自分の小説に書いた言葉「人間はいいことをしながら悪いことをし、悪いことをしながらいいことをしてるものなんだよ」が浮かんでいました。でもそのことも、きっとこの子は知っている。それを体験を通して確たるものにしているのでしょう。何も言わなくてもいいはず。私の説教くさい言葉など、この場面では刺身のつまほどの威力もありますまい。

 アイガモは肉の塊となり、センターの厨房に行きました。そこで内臓を取り出します。

「これが心臓、これが食道、これは肝臓、これは精巣・・・・砂肝はこれ」

内臓は夜、塩コショウで味付けして焼いて食べました。どれもおいしかったです。一羽の心臓、砂肝など小さいもので、とても14人全員が食べられるものではないですから、食べてみたい子だけが食べました。

肉は、次の日まで冷蔵庫で寝かして、それから食べることにしました。

・・・食べられる子も、食べられない子もいるでしょうね。

でも。私は食べたいと思います。正直、複雑な気持ちはします。でも、食や命に対して真摯な気持ちが呼び起こされることは事実。それを共有できるといいのですが。

それと、鳥をさばいて食べる技術は、決してないといけないものではありません。現代日本では堂々と避けて通れるものでしょう。でも、私は自ら求めてその技術を自分のものにしました。それが「生きる力」のひとつだと思って。いい気持ちがする仕事ではなくても、でも、それができるということ。それが大事なような気がして。

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2006年3月15日 (水)

いいんですか?

え~。

所得格差でこどもへの期待が変わるという調査結果が出ました。

こんな話題もありますよ。「家庭の経済格差拡大の影響が子どもの学力に及び、成績の下位層が増えた」という話です。

とほほな話です。国はこんなことを言ってはいますが、世の中の気分は「“格差社会”になってきている」ことを認めているように思います。

ところで所得と出生率に関係はあるのかしらん。

このサイトの調査によるとなんとなくありそうですが、それは「所得が多いほど少子化」である傾向を示しています。だからって「貧乏人の子だくさん」ってほど、所得の低い家庭にこどもが多いわけでもない。そもそも日本の特殊出生率が2をうんと下回っているのですから。

 とにかく所得の多い人はこどもが少ない。でもって教育にはお金をかけている。

 ・・・ん?これってどういうこと?そうそう、高学歴なほど生むこどもの数は少ないようです。高学歴=高所得とは必ずしもいえないものの、でもそうである可能性は高いですよね。ってことは、学歴が高くていいサラリー貰ってる人は本来こどもをたくさん育てられそうなものなのに、そうはしてないってことですね。で、ひとりか、多くてふたりのこどもに自分の資本を集中して投下してる。こどもの数が少なければ勉強の面倒くらいうちでも見てやれそうなもの、なんですけどね。違いますかね?いろんな習い事をさせたいってことなのかね。量より質ってこと?

 もとい。話を戻します。

 それにしてもお金がないから進学できない、いろんな教育が受けられないって、なんだか情けない話だと思いませんか。いえ、「お金がない」ことが情けないなんて言ってません。「お金がないから教育をあきらめちゃう」ところが情けないって言ってるんです。

 なんのかんの言って、日本の生活水準はヨーロッパより上だそうです。もちろん平均的な姿はってことですが。くらしのこともずいぶん機械化されて便利になってる。なのになぜ、こんな情けない話になってしまうんだろう。

 教育は夢じゃないですか。教育は未来をつくるってことじゃないですか。そこにエネルギーかけなくて、どうしていい未来がつくれるもんですか。お金はそのエネルギーのひとつにすぎないはずでしょ?

 グローバリズムとかいう考え方が、人をお金至上主義にさせちゃって、お金が人の心を今まで以上に左右してる気がする。下部構造は上部構造を規定する、なんていったのはマルクスですが、それがもっと煮詰まって「金で人の心は買えます(BY ホリエモン)」状態になってるのが今。不況感が生きる力を必要以上になえさせてるんですね。

うーん。そんな向きの方々に、偉大なる先人の言葉を授けましょう(笑)

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2006年3月14日 (火)

立ち入り検査と歌の練習

 寒い日が続く。昨日の夜も寒かったです。

 朝起きてみると、雪が降っているじゃないですか。ここのところ春の陽気だったから、ことさら寒く感じます。

 今日は管理施設に保健所の立ち入り検査がありました。宿泊施設の検査です。宿帳、水質検査、レジオネラ菌検査、自主点検表などなど各種書類のチェックと、部屋、トイレ、風呂のチェックがありました。時間にして30分くらいでしょうか。

 細かなところまでご指導いただき、ありがたかったのですが、でも立ち入り検査って緊張しますね。しっかり準備をしたつもりでも、不備があったりもしましたし。

 まあ大きな指導・指摘事項はなしということで終わりました。ほっとしました。「きちっとやってくださってると思います」と最後に言ってくださったのですが、うれしかったですねえ。

 NPO申請の書類づくり、まだやってるの?とお叱りを受けそうですが、まだやってます。私は仕事は早い方なつもりなのですが、これに関してはどうも後手後手になってしまいます。早く開放されたいのですが。

 山村留学生の歌の練習も進めています。

 14人がそれぞれソロでリレーのように歌い継ぎ、さびの部分は3部合唱するという構成です。間奏のところで引継ぎの台詞交換があります。台詞交換の台詞は長いものはないので大丈夫そうですが、問題はソロ。3年生から中3、男子も女子もいて、それでソロでリレーしていきますから、男子の後の女子はついつい音が低くなってしまうし、女子の後の男子はムダに高い音になっちゃう(笑)それにみんながすぐに音程よく歌いきれるかというとそうでもありません。苦手な子ももちろんいます。ま、練習あるのみですね。幸い、いい歌を歌おう!感動してもらおう!という気持ちはみんな共有しています。後3日間、しっかり歌いこみたいです。

 なので私は、ここのところ宿直や遅番じゃなくてもセンターに入り浸って歌の練習につきあっています。

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2006年3月13日 (月)

一気に引越ししました(笑)

今日の午後、ちょっと休みがとれたので、一気にブログの引越しをしました。

 夕方は修園式の歌の練習と引継ぎ式(儀式的劇)の練習でセンターに行ってきます。その後は公民館の会議です。

 午前中は なみあい遊楽館の清掃をしてきました。明日保健所の立ち入り検査があるものですから、粗相がないように準備しました。その後は公民館の会議です。

 ココログにして二日目ですが、ライブドアの方が使いよいところもありますねえ。たとえば画面右のカテゴリーの順番は任意にならない。アニメが一番上ってのも抵抗あるのですが・・・。それとも何か順番を変える方法あるのかな??

 それと編集しながら他の画面を開くとき、別ウィンドウで開いてくれない。これもなんかやりようがあるのですかね??

 

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2006年3月12日 (日)

引越ししました。

 突然ですが、ブログ引越しをしました。

 今までのところの掲載記事の引越しは、まあ、ぼちぼちと。

 こちらもこれからお願いします。

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2006年3月 9日 (木)

さて、誕生日なわけだが

今夜は宿直で家族とすごすことはできませんでした。
 けど!センターの子が、「くずぴょんお誕生日おめでとう」って言ってくれた!
こういうのってマジうれしい。うれしい!
 家からは家内がケータイの動画でこどもたちが「おめでとう」を言っている様子を送ってくれたし。
 こどもたちが寝てから気づいたんだけど、これもうれしかった。
 
 ありがとう。

 ところで今日はCONEトレーナー南信部会(って言っていいのかな?)のミーティングを当方で行いました。10時から14時まで、いろんな話題で意見交換しました。同業者(通年合宿スタッフ)をやってて、うちのやり方とか考え方をしきりに質問してこられた熱心な方もいました。同業者の研修会はの機会は本当に乏しいので、いいチャンスだったと思います。こうした機会をもっとつくりたいなあと思いました。

 夕方は「浪合地区に感謝を込めて!清掃下校」をセンターのこどもたちと実施。車ではなかなか見えませんが、ごみって結構あるんですね。やってみてよかったです。認識を新たにしました。

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2006年3月 8日 (水)

ひさしぶりの金縛り

今朝未明、久しぶりに金縛りにあいました。
 本当に久しぶりです。10代のころは毎日くらい金縛りにあってました。でも20代になって激減、30代に入ってからはほんと数えるくらいだったのです。
 隣で家内が寝ていたのですが、そんなことはおかまいなし。急に体が痺れ出し、目はつむっているのにあたりが見え出します。足元に誰か立っています。親父に背格好が似ていたような。でも髪の毛は生えてたから親父ではないのかな。結構痺れは強く、呼吸も苦しいです。声にはならない声をあげ、家内を呼びます。実際誰かが私に声をかけてくれたりすると金縛りが解けることが多いのですが、家内に微塵も起きる気配なし。
 ややあって自然に金縛りはおさまったのですが、しかし苦しかった。
 いつもは金縛りになる前に、空気が変わる感じ(妖気を含むというか尋常じゃなくなるというか、とにかくヘンな感じがするんです。音がして変わることもあります)がするのですが、今回はそれがありませんでした。
 足元に立っていた人(? 人じゃないかもしれません。はっきりとは見えませんでした。・・・私、かつて人間並みに大きいカエルに全身をなめられたことがあります。他にもいろいろ・・・そうそう、幽体離脱みたいになったこともあるぞ)が親父に似ていたので、もしかして親父に何かあったのかな、とも思いました。なので日が出てから家に電話したのですが、
「別になんもあらへん」
とのこと。ほっとしました。
 みなさんは金縛りになったこと、ありますか??

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2006年3月 7日 (火)

寝不足です

寝不足です。なぜなら。寝たのが3時で起きたのが5時45分だからです。
 なんでこんなに遅かったかというと、宿直業務が終わってから、記念文集の写真ページの制作をやったからです。いえ、デザインとかはスタッフの女の子がやってくれたのですが、それをスキャナーで読み込み、プリンタに出力して色の調子を見る、ということに手間取ったのです。問題は、色がきれいに出ない!これじゃイイものにならない!ということにありました。
 結局キャリブレーションをやり直したことで解決したのですが、それに至るまでに時間がかかりました。問題解決能力がイマイチだった夜でした。
 で、朝、宿直業務朝編をこなし(朝時間の指導、こどもたちの登校送り出し、施設の清掃)、それから「地域こども教室」の来年度計画書の詰め。締め切りはこの日の正午。いささか朦朧とした頭でしたがなんとか締め切り20分前に送信することができました。
 午後はスタッフミーティング。迫りくる年度末の行事の群れの計画をばったばったとつくっていきます。これくらいになると脳内麻薬の分泌もかなり順調で、ハイな頭脳になっています。われながらキレ味のいい時間帯が続きました。
 ミーティングを終え、次の宿直業務者と引継ぎをし、帰ってきたこどもたちといくらか莫迦話なんかをしてから家に帰ります。
 再び、朦朧(笑) なんか睡眠不足に弱くなってますねえ。よる年波には勝てませんか。20代のころはこういう日が連続してもまだ遊べたものですが(笑)
 家族に癒してもらおうなどと思っていたら、妻はバレーボールへ。こどもたち3人ともそれについていっちゃって、私ひとり家にポツン(涙)。
「父ちゃんもくればいいのに・・・」
siが言ってくれますが、しかしママさんバレーに監督でもコーチでもマネージャーでもない男性たる私が行くのはちょっと気がひけます。
 仕方ないのでテレビをつけると、スカパーでサンガ対マリノスの録画再放送をやってます。なんとはなしに見て、うつらうつらして、でもみんなが帰ってくるのを待とうと眠気を払って、で、またうつらうつらして。
 みんなが帰ってきたのは9時すぎ。で、みんなはすぐに寝に行きましたとさ(笑)
 明日は妻が宿直です。あさってはまた私が宿直。しあさっては私が会議。家族が揃う夜はなかなかない、そんな3月です

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2006年3月 6日 (月)

文集表紙コンテスト

今期の通年合宿記念文集を作成するにあたり、その表紙をこどもたちに書いてもらい、作品を並べて投票で決めよう、という企画を進めています。
 もうまもなく印刷に入らないといけないのですが、しかし集まった作品はどれも表紙としてはイマイチ。そこで昨夜、そのことをこどもたちに伝え、一層の奮起を促し、「骨太で印象的な表紙」になるようお願いしました。
 ウデに覚えのある園生やノリのいい園生は
「よおおし!」
と発奮、次々作品が生まれていきます。
 かくいう私もいっちょ描いてみるか、とエンピツやペンを持ち出した次第。
 今年の文集のタイトルは
「通年だ!FO~」
もちろん、あのミウラーラモン氏(笑)のアレです。今年度の演芸会のことが、みんな強く心に残っているみたいで、文集のタイトルを決めるときも、このほかのアイデアはほとんど演芸会がらみでした。
 あのパフォーマンスのように、みんなの心をわしづかみにできる作品が生まれるか!楽しみです。

 文集を作ってると、もう今年度も終わりになるなあと、つくづく思います。

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2006年3月 5日 (日)

息子と墓参り、古希のお祝い、サンガ開幕 盛りだくさんの3月5日

京都二日目。二日酔いでスタート。
娘に「お墓まいりに行くって言ってた二人が最後まで寝てる」
などといわれてしまった私と長男。私は昨夜(今朝未明?)の深酒が効いてます。長男は遅くまで3Dパズルに取り組んでいたので眠りこけてます。
 お昼ごろ、ようやく長男と墓まいりへ。お墓は嵐山の近くにあります。天気もいいので自転車で行くことにしました。春の空気を吸いながら、実に快適なサイクリング。私にとっては懐かしい、息子にとっては新鮮な道をすいすい走ります。おまいりするお墓は祖母(母方です)のもの。お線香をあげて、数珠を持ち、念仏を唱えます。お墓が汚れていると気持ちが悪いので、息子とふたりでコシコシこすって汚れを落としたりもしました。そんなことをしながら、京都の吉田家の歴史について語ってきかせました。息子は何度となく同じ話を聞いているはずですが、しかし毎回表情やリアクションが違います。学年があがるにつれ、感じることも変わってくるのでしょう。6年生にもなれば、学校で歴史も勉強しますしね。墓地のそばには畑があり、畑の土手にはオオイヌノフグリやヒメオドリコソウが咲いています。
 その帰り、嵐山駅まで足を伸ばして、京福電鉄嵐山線の嵐山駅構内にある足湯につかってきました。150円で楽しめます。しかも記念タオルつき。私、実はここが大好きで、お墓まいりのついでに必ず寄ります。足湯1 のんびり足だけお湯につけ、ぼや~とします。二日酔いでさえなければ、どこかでおいしいワインか日本酒でも調達して、一杯やってたことでしょう。いつもは空いているのですが、さすがに日曜日だけあって何人かの人が足湯を楽しんでいました。足湯2
 かなりのんびりしてから、自転車をこいで家へ。駅から家まで、15分くらいかなあ。
 夕方からは親父の古希の祝賀会。親父夫妻と息子3人の家族、計12人で夕飯を楽しみます。会場は京都ブライトンホテル。正直言って、私はこういうことでもないと、こんな一流ホテルで夕飯(ディナーというべきでしょうか)を楽しむことなんてきっとないでしょう(笑)
会場
 それはそれは見事な料理が次々来ます。もちろん、優雅にして鮮烈。オーガニックな素材にこだわり、そのものが持つおいしさを十二分に引き出した料理の数々はただただ嘆息ものでした。しかし、小さいこどもたちには厳しい時間だったかな。2時間半も夕食にかけるなんて贅沢ですが、その贅沢をこどもたちはまだ楽しめない。6年生の長男はそれなりに楽しめたようですが。そうは言っても、こどもたちもいい経験ができました。
 古希を迎えた父には腕時計を、それを支えてきた母には花束をプレゼントしました。父母
 私の弟がブライトンでホテルマンをしており、ステーショナリーは極めた(本人談)男なので、腕時計は弟が選んでくれました。親父もメカ好きなので、満足そうです。
 そんな親父が頭に来てたのが、この日のワールドベースボールクラシック日本戦。韓国に負けるとは何事だ!と。中国と韓国には完膚なきまでに勝たなければいけないそうです。私は・・・決勝トーナメントで結果を出してくれればいいと思っています。それより、サンガが開幕戦を1-4でけちょんけちょんにやっつけられた方がくやしい。けど相手はマリノスだし、完封負けでもないし、ここは我慢のしどころか。詳しくは「むらさき観戦記」の方で。といっても、ここからそこに行く人は少ないでしょうかね(笑)

 その帰り、嵐山駅まで足を伸ばして、京福電鉄嵐山線の嵐山駅構内にある足湯につかってきました。150円で楽しめます。しかも記念タオルつき。私、実はここが大好きで、お墓まいりのついでに必ず寄ります。 のんびり足だけお湯につけ、ぼや~とします。二日酔いでさえなければ、どこかでおいしいワインか日本酒でも調達して、一杯やってたことでしょう。いつもは空いているのですが、さすがに日曜日だけあって何人かの人が足湯を楽しんでいました。
 かなりのんびりしてから、自転車をこいで家へ。駅から家まで、15分くらいかなあ。
 夕方からは親父の古希の祝賀会。親父夫妻と息子3人の家族、計12人で夕飯を楽しみます。会場は京都ブライトンホテル。正直言って、私はこういうことでもないと、こんな一流ホテルで夕飯(ディナーというべきでしょうか)を楽しむことなんてきっとないでしょう(笑)

 それはそれは見事な料理が次々来ます。もちろん、優雅にして鮮烈。オーガニックな素材にこだわり、そのものが持つおいしさを十二分に引き出した料理の数々はただただ嘆息ものでした。しかし、小さいこどもたちには厳しい時間だったかな。2時間半も夕食にかけるなんて贅沢ですが、その贅沢をこどもたちはまだ楽しめない。6年生の長男はそれなりに楽しめたようですが。そうは言っても、こどもたちもいい経験ができました。
 古希を迎えた父には腕時計を、それを支えてきた母には花束をプレゼントしました。
 私の弟がブライトンでホテルマンをしており、ステーショナリーは極めた(本人談)男なので、腕時計は弟が選んでくれました。親父もメカ好きなので、満足そうです。
 そんな親父が頭に来てたのが、この日のワールドベースボールクラシック日本戦。韓国に負けるとは何事だ!と。中国と韓国には完膚なきまでに勝たなければいけないそうです。私は・・・決勝トーナメントで結果を出してくれればいいと思っています。それより、サンガが開幕戦を1-4でけちょんけちょんにやっつけられた方がくやしい。けど相手はマリノスだし、完封負けでもないし、ここは我慢のしどころか。詳しくは「むらさき観戦記」の方で。といっても、ここからそこに行く人は少ないでしょうかね(笑)

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2006年3月 4日 (土)

京都行き

朝から家の片付けして、お昼過ぎに京都に向け出発しました。出発前の忙しい時に掃除するのは、万一事故にあって死んでしまった時、他人が家に入ってきても恥をかかないようにする為です。もう習慣です。今日明日で京都に行くのは親父の古希祝いのためです。古希。だけど元気です。今夜もすき焼きを腹一杯食べ、しこたま酒を飲み、カラオケで熱唱。本番の祝賀会は明日なのに前夜祭ですさまじく盛り上がってしまいましたとさ(笑)

ところで今日からJリーグが開幕。毎週週末はサッカーのことで一喜一憂するシーズンがはじまりました。ガンバ大阪の加地の同点弾は見事でしたねえ

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2006年3月 3日 (金)

前村長からの電話

今夜は家内がセンターの遅番勤務(13:30~21:30・・正味は23:00頃まで)だったので、我家の夕飯は家内ぬきでした。
 私がスパゲティホワイトミートソースほうれんそう入りを作って
「どーだ!おいしかろう」
と悦に入りながらこどもたちと夕飯を楽しんでいた時、電話が鳴りました。
 次男のsiが電話に向かって受話器をとってくれました。
 時間は19:30。仕事関係や親しい知人はだいたい携帯にかけてくるので、
「さては京都の実家からかな?」
と思ったのですが、しかし聞こえてくるsiはなにやらかしこまった言葉でしゃべってます。
「誰だろう・・・」

「とうちゃん、前の村長さんから電話」
siが私に言った時には驚きました。

 急いで電話口まで行きました。
「先生(村長さんは私のことをこう呼んでくださいます)、今朝のことだがな、大丈夫だ、心配ないでな」
開口一番、前村長さんはそうおっしゃってくださいました。

 今朝のこと。

 私は今朝、30分ほど前村長さん・・・今は参与、という役でいらっしゃいます・・・と打ち合わせをしました。内容は「NPO法人化書類申請最終段階での段取り」と「修園式の来賓選定について」で、それぞれ私が前村長さんのアドバイスを頂戴する、というカタチのものでした。そのやりとりが終わった後、合併後の通年センターのことについて、本当に合併協議で話された内容の通り、つまり事業継続ということで大丈夫なのでしょうか、と私が前村長さんにお伺いしました。なぜって、合併協議で話された内容とは違うのではないか、というような話が次々いろんな会議の席上や会議後の話題などで登っており、旧村民が不安に思い始めている状況があるからです。
 旧村民にしても、合併したのだから「郷に入れば郷に従え」で、自分達の暮らし方や意識の持ち方を変える心の準備はしています。私もいろんな会議に出ていますから、その様子はわかります。しかし、合併してまだ2ヶ月なのに合併協議で話されたことがぐらつくようだと、動揺します。しない方がおかしいですよね。これが続くと当然社会不安になります。怨念もわくでしょう。そうなってしまえば、いいことなんて何もありません。改めるところは改めるとしても、それに至る手続きに無理があれば、人心は同じ方向を向けなくなるものです。人心がそろわないのに無理やり押し付けるのは・・・まあこれ以上はやめましょう。そんなつもりの人がいるわけでもないのでしょうから。
 
 話を戻します。

 そう、前村長に「通年合宿事業は大丈夫か」と問うたわけです。この「大丈夫か」には「来年度の予算は今まで通りなのだろうか」という差し迫った問題も含まれています。当然そのことは前村長もわかっています。その場での前村長の答えは、要約すると「通年合宿事業に関しては大丈夫なはずだし、私も私の立場でそうなるよう一生懸命努力する」というものでした。本気で言ってくださった言葉です。前村長の人柄はよく存じ上げているつもりですからわかります。私は満足しました。今、この場ではこれ以上の答えは無理でしょう。

 そして、今夜の電話です。
 実は今日、とある会議で前村長は村長と一緒されたそうです。会議は浪合地区の産業施設の振興についてだったと記憶しています。もっとも私はそのメンバーではないので詳細はわかりませんが、会議に出席された人から大筋の話だけは伺っていました。(ほんのわずかな情報だと思いますが) その席上で、前村長が村長と大いに意見交換されていたことも知っていました。山間地の産業ですからいろいろと難しいこともあるのです。さまざまな立場からの発言があることは無理もないことでしょうし必要なことでしょう。編入合併された側としても、ただただ合併先の言いなりになるようでは地域の発展などあるはずないです。今こそ発言するべき時ですからおおいにやるべきだと私は思いますし、私もそうするつもりです。

 どうも話が落ち着きません。だから電話。
 前村長さんは電話で
「今日、阿智の村長さんにしっかり言っておいた。みなが不安に思うことはない、通年合宿事業は大事な事業だ、阿智のみなさんだってそう言ってくれてる人が大勢いる。絶対に大丈夫だから心配することはない」
と繰り返し繰り返しおっしゃってくださいました。例の会議のメンバーの方が、「通年合宿のことは大丈夫だ。今日の会議でも話題にすらあがっていない(←検討課題になってない、という意味で、別にどうでもいいと思われてるわけじゃないですから念のため)」と言って下さっていたので、すでに基本方針についてはぶれてないなということは承知していたのですが、しかし直接電話してきて下さったことに正直感激しました。また電話の内容からすると、前村長は村長と直接、会議のどこかの場面で通年合宿のことに関し意見交換をし、その上で念を押してくださったのでしょう。このことも本当にうれしかったです。
 電話で前村長さんは
「先生、頼りにしてるでな」
と言ってくださいました。頼りにされるほどの力があればいいのですが・・・。しかしそれでも人に「頼りにしてる」といわれてイヤな気持ちはしないものです。私とて親の面倒とかこどもの教育とか家計とかいろんな問題を抱えているところですが、しかしできるだけのことを、私のできるできるだけのことをしたい、しなくちゃな、と、そんな気持ちを新たにしました。
 村長は村長で通年合宿に関し夢のあるビジョンをお持ちのようです。地区の議員さんも地域のみなさんも後押ししてくださっています。頑張らなくちゃですね。

  

 ところでスパゲティホワイトミートソースほうれんそう入り、おいしかったですよ。ホワイトソースは横着してシチューのもとでこしらえましたが(笑) ひき肉とタマネギをコンソメで煮て、シチューの素を入れて、最後にほうれんそうをパラパラっと入れます。ほうれんそうの色が鮮やかなうちに召し上がれ~

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2006年3月 2日 (木)

紙とエンピツと推理力で楽しむ潜水艦ゲーム!

ひょんなことから、こどもたちに潜水艦ゲームなるものを教えました。
 ご存知ですか?二人で行うゲームです。紙に碁盤の要領でマスを書き、そこ(マップといいます)に戦艦を適当(縦、横のみ。斜めはダメ)にならべ、互いに交互に攻撃しあいます。

攻撃側「Aの5」(←これは例です)
相手側「はずれ(笑)」
次は攻守が交代して
攻撃側(さっきの相手側)「Cの6」(←これも例です)
相手側(さっきの攻撃側)「あたり(涙)」

 こんな風にして進めていきます。「あたり」が出たら、その周囲を攻撃します。一隻の戦艦は、その戦艦を構成するすべてのマスに攻撃を受けると沈没します。(1マス被弾しただけじゃ沈みません)早く相手を全滅させた方が勝ちとなります。
 ただし、相手はどういうふうに戦艦を置いているのかわかりません。「あたり」が出た周囲を根気強く攻撃し続けるのはもちろん、手がかりがないうちはパズルの要領で論理的に捜索攻撃する必要もあります。このあたりがオモシロイ!
 マス目は多すぎると時間がかかっちゃうし、少ないとすぐわかっちゃってつまらない。つまりは遊びに費やせる時間との兼ね合いで考えるってことですね。またマップに置く戦艦の数も重要で、少なすぎると「あたり」がなかなかでなくてつまらないし、かといって多いと「あたり」が出すぎてしらけちゃう。そこで今回は次のようにやってみました。

○マス目・・・縦横7づつ。縦軸に1~7の数字、横軸にA~Gのアルファベットをふる。
○艦隊・・・大型戦艦(マス5つ)、戦艦(マス4つ)×2隻、空母(マス3つ)、巡洋艦(マス2つ)
○マス目と戦艦類との比率・・・49:18 つまりマス目の約37%が「あたり」です。

 これだとおよそ15分程度で決着がつきます。
 そうそう、自分の艦隊を記すマップとは別に、自分の攻撃記録を記すマップを作っておかないといけません。だって自分がどこを攻撃したかわからなくなるし、それがわからないと捜索推理ができませんから。

 最初はふたりでやっていた「潜水艦ゲーム」ですが、あれよあれよと広まり最終的には8人くらいの子がやり始めていました。ちょっと頭の体操にもなるこのゲーム、懐かしい遊びですが、でも今夜はやけに新鮮でした。初めてやる子も楽しめたようです。

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2006年3月 1日 (水)

浪合学校の未来を語る夕べ

今日は勤務カレンダーでは休日でしたが振り替えをしてもらって出勤しました。やることいっぱいあるもんで。
 たとえば「地域こども教室推進事業」の申請書類の準備(→これのやり方を理解するのに時間がかかった・・・。全国研修会に参加できなかったもので・・・)とそれについて支所公民館主事さんと打ち合わせをしたり、また夜に行われる「浪合学校の未来を語る夕べ」の持ち方について打ち合わせもしてきました。
 その「浪合学校の未来を語る夕べ」ですが、これは所謂「学校」の将来ではありません。浪合は旧村だった時から「教育立村」を掲げてきました。「村すべてが浪合学校」とも言ってきました。つまりここでいう「浪合学校」とは村(今は地域)全体の子育て、教育を包括した言葉です。それらについて語ろうと、そういう主旨の会です。
 自治会長、参与(元村長)、支所長、学校長、公民館長、議員、PTA会長、保育園保護者会長、未満児のこどもを持つママの会会長、有識者、センター副所長(私)らがメンバー。
 地区のこどもの遊び方から中学生の体験旅行についてまで、さまざまな話題が出ました。2時間ほどがあっというまに過ぎました。意見を述べない人は誰もいませんでした。いろんな会議に出ていますが、かなり積極的かつ前向きな部類だったと思います。センターからも来年度の募集状況から園生指導の要点、また短期自然体験事業の展開や地域子育て支援のプランなどについて話をしました。
 この会は地区の教育(学校教育、社会教育含む)、子育てに関わる人たちが要職にある人たちといっしょに教育についての意見交換ができるテーブルであり、また議論を深める場にもなりえます。今後も定期的に開催されることになりそうです。

・・・で、ですね。この日PTAの地区委員会の慰労会があったのですが、私すっかりすっぽかしてしまいました。家内が気を利かせてお断りの電話をしてくれていたのですが、それにしても情けない。ごめんなさい。
 でも。ここのところ毎晩家にいない。明日も宿直です。息子が「つまらん」と言ってくれました。うれしいですが、悲しいです。明後日は妻が遅番です。3月は(3月だけじゃないですけどね)忙しいです。

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