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2006年2月26日 (日)

僕が通年合宿の仕事をしているわけ⑦~しばしおわかれ~

その⑥の続きです。

 
 キャンプ前の激務が続いた。
 給料の不安は、この頃にはなくなっていた。夏前のこの時期には参加費を次々振り込んでくれており、なんとか給料が出るようにはなっていた。が、しかしキャンプの参加者数は伸びなかった。毎日ポストを見ては、首をかしげる日が続いた。
 しかし、である。このシーズンの現場、つまり夏キャンプそのものはたいへん印象的だった。いいキャンプができたと思っている。理由は簡単、参加者が少なかったからだ。
 大人のスタッフひとりあたりのこどもの数が少なければ、それだけコミュニケーションがとりやすく、指導もしやすく、活動もこわまりが効く。自然、キャンプの評価も高くなるというわけである。プロとしては大人数キャンプで高い評価を得るというところが本望であるかもしれないが、僕はこの時、少人数キャンプのよさを改めて実感した。だが、少人数の参加者でキャンプ団体が運営し続けることができるかというと、そんなことはない。厳しいところである。
 ともあれ、私は現場に没頭した。幸せだった。
 
 夏が終わった。秋の風が心地よくなった。
 そんな時、うちの団体で新たな仕事に本格的に取り組むことになった。

「浪合村に通年合宿を設置する」

このことである。

 当時の職場にしてみれば、三つ目の通年合宿設置の仕事である。一つ目は泰阜村。これは直接運営の形で設置した。二つ目は松川町生田地区である。これは地区住民の熱意に動かされ、新組織を立ち上げるという形であった。今回は村そのものからの依頼である。
 浪合村はそれまでも山村留学事業を行っていた。(財)育てる会という団体がその事業主体となっていた。実に8年間行っていたのである。しかし育てる会が何らかの事情で撤退していった。その事情については、僕は今だに多くを知らない。しかし村としては山村留学事業の必要性は高まっており、なんとか再開したい。そこで白羽の矢があたったのが、通年合宿事業のソフトを持つ当方とだったというわけである。また私達が行っていた短期キャンプのメインフィールドも浪合村にあった。村との縁は、薄くはなかったのだ。
 当時の村の熱意も、相当なものがあった。担当の方が連日事務所にやってこられては、理事長と長い時間懇談されていた。経営事情がよくない時期だったから、どんな仕事であれありがたいことに違いはない。しかし、通年合宿の設置は、当時の職場のような零細団体には大事業である。なにしろ、人がひとりの派遣は絶対に必要なのだ。そしてそれは、その当時の状況からすると僕以外にはありえない。しかし、事務所にもう大久保はいない。僕の仕事の守備範囲も広くなっている。二足のわらじを履こうにも、さすがにムリがあった。
 しかしそれでも、浪合村は通年合宿設置を熱望している。通年合宿を行うための村の施設の建設も進んでいた。
(つづく)(ここまで平成16年度文集掲載分)

・・・・そして今年度の文集掲載分に続きます。これは今執筆中です。

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