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2006年2月19日 (日)

僕が通年合宿の仕事をしているわけ②

①の続きです。



 大学でも山登りをしようとしたのですが、資金集めのアルバイトのつもりではじめた野外教育キャンプのリーダー体験が、人生の転機になりました。きちんとした理念を持つ野外教育キャンプの魅力に捉われたのはもちろんですが、すばらしいポテンシャルを持ったキャンプリーダー仲間との交流が実に刺激的でした。僕は大学にいるよりも、キャンプの準備、実施、始末といったあれこれを、そんな仲間たちとあいまみえながらできる現場を愛してしまったのです。キャンプの主なフィールドは、浪合村でした。またこの頃苦労しながら読んだI・イリイチミシェル・フーコーF.アリエスといった人々の著作に触れてしまったことも、当時の自分のあり方に大きな影響を与えているような気がします。

 松本市や長野市から飯田や浪合に通うのは容易ではありませんでした。当然お金もありません。だからヒッチハイクなんてものも覚えました。僕を乗せてくれたトラックの運ちゃんが、僕が教育学部の学生だと知ると、思春期を迎えた娘を持つ親の悩みを打ち明けてくれました。トンネル掘り職人さんはとにかく無口で、それでいてクルマは猛烈なスピードでした。別れ際、「気をつけろよ」といってくれたのですが、無口な人だっただけにその言葉はずしんと胸に響きました。金ぴかの車のオーナーだった和尚さんは「無茶が何かわからんようになる時だ。親を泣かすな」といって小遣いをくれました。飯田からの帰りに乗せてくれた小荷物輸送の運ちゃんは、最初は「塩尻までだぞ」といっっていたのだが、話がはずんじゃって「よっしゃ、松本までまわったる。そのかわり学校の試験がんばれよ」なんていってくれました。分けてくれた梅干しのおにぎりがおいしかったことを思い出します。

 大学の4年間はたちまちのうちに過ぎていきました。親には先ほどの和尚さんには申し訳ないけど、心配をかけなかったとはいえません。むしろ、たくさんの心配をかけたのではないかと思います。教師になるはずの息子が、キャンプ屋の修行みたいなことをやっているののです。その上、たまに会うと学校教育は今後確実に変わって行くし野外教育の重要性も増していくに違いない、なんて演説をしちゃうのです。呆然ともさせたでしょう。ゴメンナサイ。
 教員になろうとチャレンジはしました。京都に帰ろうとは思わなかったので、長野で受けました。これは失敗しました。そこで僕は民間の野外教育財団の研究生に応募し、拾っていただきました。研究生とはいっても、実質は丁稚のようなものです。収入もほとんどありません。塾の先生をして糊口をしのぎました。1日中、仕事していたような気がします。
(つづく)(平成14年度文集掲載分)

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